南北朝動乱について書かれた史料としては『太平記』が代表
的ですが、その中に次のような記述があります。
「或る夜の南風の紛れに、逸物の忍びを八幡山へ入れて、神
殿に火を懸けたりける」
「忍び」というのは「忍者」のことであり、要するに忍者の
活躍を書いているのです。
この忍者を起用したのは、北朝方でした。当初八幡宮に立て
籠もった南朝方の北畠顕信勢の守りが堅かったため、足利尊
氏の執事だった高師直が秘かに忍者を遣わして社殿を焼き討
ちし、守備兵を大混乱に陥れたということです。
かなり実力の高い忍者でないと出来ない難度の攻撃を、北朝
の忍者はやってのけたのですが、一方で南朝方が忍者を用い
た話も、『太平記』には登場しています。
南朝方の忠臣・三宅三郎高徳が北朝に夜襲をかけるための先
導役として、忍者を壬生寺門前の町家に潜ませていました。
しかしこの作戦は北朝方に完全に読まれ、数百騎の軍勢にそ
の忍者たちは逆に襲われて、皆自害したということです。
南北朝動乱においても、忍者の活躍の差が勝敗を左右した1
つになってしまったわけです。勿論元々の戦力自体にも差が
あったわけですが、それだけに忍者の力や扱い方にも、格差
が出てしまったものと思われます。