南北朝合一の際の約束事が守られなかったことも室町幕府が不安定だった理由の1つ | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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1392(元中9・明徳3)年は、南北朝が合一した年です。

元号が2つあるのは勿論、この年まで朝廷が2つあり、それ

に伴い天皇も2人いたからです。

 

南朝と北朝に朝廷が変わり、動乱を続けていたので「南北朝

動乱」なのです。これが60年続いたわけですが、足利義満

が和平を呼び掛けたことでようやくこの年、南北朝は合一と

いうか統一を果たしたのです。

 

この和合のは、3つの和約がありました。1つは、南北朝が

所持したまま逃げていた三種の神器を北朝に引き渡すこと。

2つ目は、両朝(両統)が交替で天皇に立つこと。3つ目が、

国衙領を南朝、長講堂領を北朝が統括することでした。

 

ただし南北朝動乱は、それ自体は60年続いたのですが、戦

の内容は圧倒的に北朝が優位で戦力差がありました。なのに

長く続いた理由は、不利だった南朝が三種の神器を持ち続け

たからなのです。

 

従って北朝にしてみればそれを奪うことだけを目的とする和

約で、南朝にしてみれば戦況が不利なため、妥協するしかな

かったというのが実情です。そして天皇を両統(朝)から交

替で出すという条件を出された以上、合意をするしかなかっ

たというのが正直なところでした。

 

しかし義満の死後、北朝は最も大事な約束だったその「両統

迭立」という約束を反故にしました。北朝の天皇が、続いた

のです。

 

もう南朝側に再び戦う意欲はなくなっていたものの、南朝側

に就いている武士はまだ多かったのです。その南朝方の武士

たちは、各地で蜂起し、ゲリラ戦で抵抗を続けていました。

室町幕府が不安定になった原因の1つは、そこにあったと思

われます。