「二の舞」という言葉の大元となった「安摩(あま)」という舞楽 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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967~969年の村上天皇の時代、同天皇の内裏新造の際

に陰陽師である安倍晴明が舞ったのが「安摩」という舞楽で

した。

 

この安摩という舞楽について、次のように記されています。

「安摩は、龍宮にある宝玉を、龍が好むという雀に化けて盗み

出す様を歌舞に写したもの」

 

安倍晴明は龍宮にある宝玉の意味でこの舞楽を選んだのだと

思われますが、「雀に変身」という手の込んだ作戦を表現するだ

けに、動きは複雑で意味ありげなものだったようです。

 

ただこの「安摩」ですが、本来は「二の舞」とセットになったものな

のだそうです。安倍晴明の時はこの「二の舞」は舞われなかった

ようです。8世紀くらいからは、「二の舞」も確立されました。

 

「二の舞」は、「安摩」の後にわざと安摩を失敗しながらコミカルに

演じるものです。次第に本筋の「安摩」以上に「二の舞」が受ける

ようになりました。まあ、笑いを取るわけなので、それはわかります。

 

この「二の舞」は慣用句となり、今でも使われますね。前の人と同じ

間違いを繰り返してしまうことを言います。

 

ただしよく、「二の舞を踏む」という言い方をされますね。本当は、「二

の舞を演じる」が正しい言い方です。二の舞は、「演じる」ものですか

らね。