勝海舟の意外な家系 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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江戸時代、金持ちの町人が武士になるのは、珍しいことでは

ありませんでした。

 

方法としては、武士の家へ過分な持参金つきで、養子に入る

のです。これは、形の上では養子ですが、実質は武家の株を

買ったようなものです。厳密に言えば違法なのですが、指摘

されることはまずなかったようです。

 

時代が進むにつれてこのやり方というか「武家株の売買」は、

徳川の旗本や御家人の社会全体に及んで行きます。

 

代表的な例が、勝海舟の家系です。彼の曽祖父は、越後から

流れてきた按摩で、全盲だったそうです。ただし按摩の腕と商

才に長けていて、金貸しとしても成功し、資金を稼ぎました。

 

貯めた資金で旗本・男谷家の株を買います。主には我が子の

ためですが、自らも男谷検校(おだにけんぎょう)を名乗ってい

ます。

 

そして男谷の株を買ってもらった息子の男谷平蔵は、息子の

小吉のために、御家人である勝家の株を改めて買ってあげる

のです。天下の直参となった小吉の息子が、勝海舟です。

 

榎本武揚の家も株の売買で武士になっていますので、この武

家株の売買が幕末の歴史をつくったと言っても良いかもしれま

せん。