天海僧正は江戸幕府の終末を予言していた?! | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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天海僧正、恐らく正体は明智光秀だと思いますが、それにつ

いては今回はひとまず置いときます。その天海ですが、風水

によって江戸の町づくりを指導したことは知られるところです。

 

風水による方位学や家相学では、東北の方向が鬼門となりま

す。それに沿い、江戸城から見て東北の方向にある上野に鬼

門ありと見て、それを封じるために2代目将軍の秀忠に進言し

て上野寛永寺を建立したのです。

 

鬼門封じの基本にあるのは、その地を「不動」にすることだそう

です。変化のない場所にすることなのです。屋敷や店舗というの

はすぐに別な建物になってしまいますが、大きな寺院を建ててし

まえば、後々まで変化することはないし、周辺の様子も大きく変

えることが出来ません。

 

天海は上野を変化のない場所にすることが江戸城及び江戸幕

府を存続させる方策と見たのですが、鬼門の場所はもう1つあ

りました。

 

江戸城から見て、上野の遠く延長線上にあるのが、水戸です。

天海は水戸も、鬼門に挙げていました。従って、水戸も変化の

ない不動の場所にする必要がありました。天海は、次のように

進言していたのです。

 

「水戸藩から世継ぎを迎えると、徳川幕府は終わりになる」

その進言が、15代目になって破られることになります。15代目

将軍・徳川慶喜は、水戸藩主・徳川斉昭の七男でした。

 

そして水戸からの世継ぎである徳川慶喜を最後に、徳川幕府

は終わっています。結果として、天海僧正の予言が、当たった

ことになるのでした。