大坂冬の陣で淀殿を屈服させた「まぐれ当たり」の大砲 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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1614(慶長19)年の「大坂冬の陣」と翌年の「大坂夏の陣」

で、徳川家康は豊臣方を滅ばし、江戸幕府の権力基盤は絶

対的なものとなりました。

 

戦いは2度行われたわけですが、冬の陣でもすでに淀殿が

かなり不利な条件を受け入れて和睦に応じています。

 

何故強気な淀殿が、不利な和睦に応じたか?それは、1発の

大砲の威力でした。徳川方の撃った大砲が、淀殿のいるすぐ

そばに落ちたのです。

 

その衝撃で近くにいる多くの兵士が、命を落としてしまいました。

とはいえ、大砲にそのくらいの威力があることは、淀殿も知って

いたはずです。それなのに何故淀殿は驚いたのか。それは、当

たるはずがないと思っていたからです。

 

この時徳川方は、数百台の大砲をいっせいに撃ち続けました。

なので撃った数としては、数千発は行ったはずです。その中で、

命中したのがたった1発。

 

ただしそれ、徳川方が下手だったのでは、ありません。それが

通常なのです。「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」ということわざ

がありますが、大砲の場合は「数撃っても当たらない」のが当た

り前なのです。

 

大砲というのは、方向を定めるのも難しいですが、距離を計算

するのはもっと難しく、手前に落ちたり遠くへ飛び過ぎるケース

がほとんどでした。

 

それなのに何故大砲を使うのか?それは、脅しです。威力自体

っは驚異的なので、それを数撃つことで相手を恐がらせ、降伏

させる狙いがありました。

 

淀殿もそれを知っていたから、「脅しに動じないぞ」とばかりに抵

抗を続けたのですが、まさか当たるまいと思ったその大砲が当

たってしまったのです。その衝撃は、相当なものだったと思われ

ます。それで和解に応じたのでした。