江戸時代の「日の丸」のかなり効果的な使われ方 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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日の丸のデザインは歴史が古く、平安時代には記録が残って

います。戦国時代には、武田信玄が旗印の用いていたことで

も、知られます。

 

そしてこの白地に朱色の「日の丸」がかなり盛んに使われ出し

たのが、江戸時代でした。年貢米を運ぶ船の、目印として使用

されたのです。

 

幕府直轄の領地である「天領」で取れた年貢米は「御城米」と

称され、これを運ぶ廻船には銀や銅も積まれて一般の船と区

別されました。その際、日の丸が使用されたのです。

 

ただ真ん中にある丸が当時正確には朱色だったようで、「朱の

丸御用船」と称され、特別待遇を受け、乗組員たちもかなりエリ

ートだったそうです。

 

1673(寛文13)年には、御城米を運ぶ全ての廻船に、この朱

の丸、つまり「日の丸の旗」を掲げることが、義務付けられました。

 

その後幕末になると、日本船も大型化します。そしてその頃には、

日本近海に西洋の大型船の多く出没するようになりました。その

ため、見分けがつかない場合が増えてきます。

 

そこで日本船と西洋船の明確な区別をしなくてはならないというこ

とで話し合われ、結局全ての日本船に「日の丸」を立てるという結

論に達したそうです。

 

このしきたりが定着し、諸外国は日本船の「日の丸」を多く見るこ

ととなりました。後の薩英戦争でも薩摩船は日の丸を掲げて戦い

ましたし、アメリカに派遣された咸臨丸も日の丸を掲げてサンフラ

ンシスコに入港しています。

 

諸外国は次第に「日の丸」を日本の「国旗」と認識するようになり、

日本国内でもやがて、国旗とするようになっていったのです。