光仁天皇の「官を省き役を息(ひそ)める」という政策 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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称徳天皇の死によって即位することとなった光仁天皇は、息子

である桓武天皇ほどに知名度はありませんが、大きな政治改革

に成功しています。

 

称徳天皇と道鏡のタッグで行われた奇抜な政治。称徳天皇の狙

いに関しては必ずしも間違っていたとは言い切れないと思います

が、結果的には混乱を深めただけなので、失敗といえます。

 

引き継いだ光仁天皇は、タイトルにあるように「官を省き役を息(ひ

そ)める」という政策を断行しました。

 

どういうことかというと、「今官衆(おお)く事殷(さか)んにして蚕食

する人多し」という言葉を天皇は残しています。官人がやたら多く、

人民を食いつぶしている現実を、指摘しているのです。

 

称徳天皇は優れた能力は持つもののあくまで民間人である道鏡

を官吏に抜擢してゆくゆくは天皇にしようとしていたように、官吏を

増やして大きな政府をつくろうとしました。いわば現代のような議会

政治のようなものをやろうとした節はありますが、その結果定員外

の官吏が増え、それぞれが利権を競い合い、足の引っ張り合いを

するような状況が生じました。

 

いわば政策よりも政局が思い切り優先し、しかも税金も高騰し、そ

の使い道も駆け引きが優先してマトモなところに収まらないという混

乱が続いたのです。今と、似たところがありますね。

 

こうした政権内を粛清し、官吏の数を逓減・粛清することで、政治を

スムーズに進められるようにし、息子である皇太子山部親王に皇位

を譲ったのでした。