『風土記』編纂に伴いつけられることとなった地名の数々 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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律令制が定着した古代において、地方行政が細かくなりました。

それにより、朝廷は地方に対し、調査命令を出します。その調査

命令によって出されたのが、『風土記』でした。

 

提出の際、朝廷から1つの条件が課されます。「郷や郡の名は、

今後好ましい漢字二字で表記せよ」という命令です。

 

そしてそれらの所管する土地が有用な鉱物・動物・植物が肥えて

いるかどうか、山や川のなどの名前の由来、古老が語る昔話まで

も記述するようにとの命令まで出されたのでした。

 

それぞれの地方からは、そうした命令に沿った、というかかなり工

夫されて凝った内容の書簡が朝廷に届けられたということです。

 

そして朝廷の「漢字二字で・・」という命令により、新しい国名が多く

生まれます。播磨、出雲、常陸、豊後、肥前など、今も使われてい

る国名です。

 

この『風土記』は、各地方のルーツを知る上で、今もとても重要な

資料として、使われています。