足利義満と「風呂敷」の関係 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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室町幕府というと「弱体政権」のイメージがとかく強いので

すが、それはあくまで後半のことでした、前半は強大な勢

力を誇った時期もありました。

 

全盛期は第3代将軍・足利義満の時代でして、明との貿易

で富を築くと共に、同国から「国王」の称号を得ています。

 

まあ義満の威光に関してはこれまでにも何度か書いてきて

いますので、ここでは割愛します。

 

足利義満は、大の風呂好きでした。そのため、屋敷の中に

大湯殿を造り、大名たちをもてなすのを、喜びとしていました。

これは自らの権力を見せるというよりは、本当に楽しみでや

っていたようです。

 

この時大名たちは、自分の脱いだ着物を間違えないように、

家紋入りの大きな「袱紗(ふくさ)」に包んだそうです。すして

風呂から上がると、そのふくさを足元に敷いて、その上で着

物を着ました。

 

そのためこの大きなふくさを、「風呂敷」と呼ぶようになりまし

た。ただし風呂敷が物を包むために広く使われるようになっ

たのは、江戸時代になってからでした。それからは風呂と関

係ない使われ方をする方が多いので「風呂敷」という呼称が

ピンと来なかったりもしますが、当初は風呂のみに使われて

いたのです。