旧石器時代の「ナウマンゾウ狩り」に備えた作戦会議基地か? | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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群馬県赤城山麓に、「下触牛伏遺跡」という遺跡があります。

ここからは3万年前のものと考えられる石器群も、発見され

ています。

 

ということは、旧石器時代ですね。しかもその石器群は、20

00点余りもあり、それぞれが塊を成しているそうで、20ブロ

ックあるということです。

 

各ブロックが直径50メートルくらいの円形を描いて配列され

ていて、内側にも3ヵ所のまとまりがあるそうです。従って、こ

こが何らかの集会所になっていたことは、間違いありません。

基地かアジトに、なっていたようです。

 

しかしこの旧石器時代に、戦はまだありません。従って、その

ための基地でないことは、確かです。ただしすでに、人間同士

の戦に負けないほどの大きな戦いは、行われていました。そ

れは、大型動物の狩猟です。

 

日本人は旧石器時代すでに、「ナウマンゾウ狩り」を、行なって

いました。ナウマンゾウ1頭を仕留めると、50人の1ヵ月の食糧

が確保できるのだから、必死なのです。ただしそれは、少人数

で出来るほど、簡単でもありません。そして大人数でも、ただや

みくもに戦ったところでゾウを仕留めることは、出来ません。

 

大人数が入念に作戦を練り、チームワークを大事にしてそれぞ

れが役割を果たしながら連携して、初めて成功するものです。そ

のための作戦会議とチームの和を高めるための基地、というよ

り合宿所だったと思われます。

 

このナウマンゾウ狩りは、縄文時代の前半まで続きました。何故

そこで終わったかというと、ナウマンゾウが絶滅してしまったから

です。いや、絶滅させてしまったからです。食べ尽くしてしまった

のです。

 

長年に渡ってそのような会議と合宿を繰り返していたのだから、

狩猟のレベルは向上します。ナウマンゾウも災難ですが、日本人

が団体プレーに長けているのは、このゾウ狩りの遺伝子を引き継

いでいるからだと、私は思います。