ペリー来航の翌年となる1855(安政2)年10月2日22時頃
に、「安政江戸大地震」が起きました。
マグニチュードにして7前後。直下型で震源は千葉の安孫子。
大きさとしては東日本大震災よりだいぶ小さいものでしたが、
耐震技術などが発達していなかったため、死者が町人だけで
4000人ほど。武家や寺社関係を含めると1万人くらいにまで
なったのではないかとされています。
この大地震が、幕府崩壊を加速させたと思われます。幕府は
直ちに「御救い小屋」を設置して、市街の復旧工事を始めまし
たが、なかなか進みません。
というのも、幕府は弱体化した上に政治的にもかなり緩んでい
たため、リーダーシップを発揮することができなかったのです。
結局ほとんどの救済や復旧工事は、民間主導で行われること
となりました。その民間機能がしっかりと力を発揮し、どうにか
江戸の町を復興させることが出来ました。
災害そのものの痛手もありますが、救済や復興においてリー
ダーシップを発揮することが出来ず、民間機能に大いに遅れ
を取ったことが、幕府を失墜させたといえましょう。