織田信長はよく「無宗教」とか「無神論者」などと言われま
すが、それには大いに異議があります!
彼が無宗教と言われた理由は、フロイスが書いた『日本史』
の記述にあります。その一節は、
「信長は良き理性と明晰な判断力を有し、神および仏のいっ
さいの礼拝、尊崇、ならびにあらゆる異教的占いや迷信的
慣習の軽蔑者であった」
という部分です。
確かに信長は、合理主義者でした。ただフロイスはあくまで
キリスト教の宣教師でした。なので、キリスト教的見地からの
判断でそうなるわけです。
しかも信長は、フロイスの話に興味は持ち、理解者でした。厚
遇もしています。なのに信者にならなかったのが、いかにも合
理的で神を信じないように思えたのでしょう。
ただそのフロイスの『日本史』には、信長が日蓮宗の信者であ
ったとか、禅宗も信仰していたとも記述されているのです。
となると、「無宗教」「無神論者」どころか、色んな宗教に興味を
もっていたことになります。禅宗が具体的に何なのかわかりま
せんが、日蓮宗は禅宗ではありません。他の仏教です。それで
いて禅宗でない日蓮宗を信仰し、キリスト教にも理解を示した。
要するに信長は、「多神教者」だったのです。なので、「一神教」
であるキリスト教の宣教師・フロイスには理解できないところだ
ったのでしょう。
しかも仏教にしても、色んな宗派の寄せ集めで納得の行くものを
自分なりに解釈して取り入れる。というやり方です。
最近は、宗教と科学を結びつける考え方が、むしろ主流になりま
した。「神」とか「天」を「宇宙」といった言葉に置き換えて宗教を科
学的に解釈する。魂も科学で捉える。そんな発想が珍しくありませ
ん。信長は、その先駆けかもしれません。宗教を科学的に捉えて
いたため、一神教のフロイスには合理主義的過ぎて無神論者に
見えたのでしょう。