やはり「上杉謙信女説」はバカにできないか? | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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これは、上杉謙信の生存中の、肖像画です。かなりぼやけていますが、尼さんのようですね。

よく髭面の肖像画が見られますが、あれは死後に髭を付け加えたのだそうです。

以前何度も、「上杉謙信女説」を取り上げましたが、この肖像画も、それを後押ししますね。

 

これまで「上杉謙信女説」の根拠は、いくつも挙げてきました。

たとえば、毎月必ず部屋に閉じこもって合戦等を取りやめるこ

とがある。

また、スペインの使者・ゴンザレスが、謙信のことを「上杉景勝

の叔母」と書いた手紙を国王フェリス二世に出していること。

 

などが主立っていますが、他にも根拠となるものはたくさんあり

ます。

 

それらは過去に何度も書いているので、今日は上杉謙信の意外

な素顔に触れたいと思います。

 

上杉謙信が着ていた衣類や甲冑は、真っ赤であったり、パッチワーク

状のものだったりで、しかもいくつも持っていたそうで、自分が女であ

ることをまるで誇示するようなファッション性だったということです。

 

武将や諸大名の妻や姉妹たちと、常に世間話で盛り上がっていて、そ

れが同性のような会話だったそうです。

 

『源氏物語』や『伊勢物語』といった、この当時「女性向け」とされていた

恋愛物語を好み、歌会では女性的な恋愛観の歌を詠んでいたとの話

です。また、女性のみに贈られるはずの「源氏物語図屏風」を、持って

いたということです。

 

こうなると、上杉謙信女説が信憑性を帯びるどころか、まるでそのまま

「女性」として生きていたかのような印象すら覚えてしまいます。

 

では、もし本当に女性だった場合、何故「男性」として後世に伝わったか

です。

実は、戦国時代までは、女性が家督を相続することが法で認められ、そ

れほど珍しいことではなかったのです。また、女性が甲冑を着て戦に参加

することも当たり前のようにあることで、男性以上に武芸に優れていた女性

も、少なくなかったそうです。

 

しかし江戸時代に入り、徳川幕府によって、女性の家督相続が認められな

くなりました。さらに上杉家は、関ヶ原の戦いで西軍の石田三成側に就いた

ため、領地を没収され、120万石から30万石にまで減封され、財政難に

陥りました。

 

そのため、何とか幕府に取り入って、立場を回復する必要があったのです。

そうしたことを考えた際、一族の歴史の中で最も優れた当主が女性である

ことは不利になると考え、謙信を男性であると偽ってきたのではないかとい

う説が、根強くなって来ています。

 

従って、謙信が高野山をはじめとする女人禁制の場所に数多く足を踏み入

れたとされるのも、後世の捏造ではないか?という見方も、強まっているの

です。

 

まあいずれにしても、素顔が非常に個性的であったことは、確かです。こう

したキャラクターでありながら戦においては「最強大名」であった可能性が

高いのだから、痛快です。本当に女性だったら、と思うと、あまりに格好い

いですね。