晩年と言っても、信長の場合老人ではなかったし自らの死を
察していたわけではないので、あくまで結果論としての晩年で
す。
本能寺の変で亡くなる前年の1581(天正9)年の左義長(小
正月の火祭)における織田信長の様子が、『信長公記』に記さ
れています。それが、次の通りです。
「黒き南蛮笠をめし、御眉をめされ、赤き色の御ほうこうをめさ
れ」
という格好で、名馬にまたがり、火祭らしく爆竹を鳴らしながら
走り去ったということです。
黒い南蛮笠は西洋風の大きなつば付き帽子で、つなに愛用し
ていたそうです。それと赤いファッションは、元々「傾奇者」のカ
リスマともいえる織田信長なので本領発揮というところでしょう
か。
驚くのは、「御眉をめされ」です。眉を剃っていたということです。
これは平安時代の、若い公家たちがオシャレ自慢でやってい
た、いわばビジュアル系貴族のいでたちなのです。
昨日紹介いたしました通り、足軽と同じ「足半」を履いたのに続
き平安時代の若きビジュアル貴族のやったようなことを、当時
とは対照的な戦国の世に、48歳の戦国大名が、それも天下取
りが間近にある強豪の武将大名がやるというのは、驚愕を通り
越しているといえます。
もっとも、だからこそ信長といえますが。