常識にとらわれない発想が何よりの武器だった織田信長につ
いて、『信長公記』について、次のような記述があります。
「年来御足なかを御腰に付けさせられ候」
足なかとは、かかとの部分がわざと省かれている草鞋のことを、
言います。身分の低い足軽などがつける履物でして、それを殿
様である織田信長が、常に腰につけていたというのです。
足なかは、走りやすいようにできています。従って、常に率先し
て走り回っていなくてはならない足軽が履いていたのです。
織田信長は、いざとなったら自らも走り回る用意が出来ており、
そのための足なかでした。そして実際にそうしていたそうです。
朝倉家討伐戦である「刀根坂の戦い」の最中、騎馬武者を追い
かけてついに討ち果たした兼松正吉という家臣が、裸足となっ
て足から血を流しているのを、織田信長は見かけました。
信長は「今こそこれが、役立つ時」
そう判断して、身に着けていた足なかを与えたそうです。兼松正
吉はこの足なかを、家宝にしたということです。足なか、漢字では
「足半」と書きます。