平安時代、天皇を頂点とした朝廷は、荘園と呼ばれる多くの
土地を所有していました。武士は、その土地の用心棒として
出発した集団です。
やがて朝廷の貴族たちが皇室をはじめとしてそれらの土地を
武士たちに任せて優雅な生活に浸ったため、武士たちはそれ
らを支配、統治することによって住民たちとのつながりも深め、
力を伸ばして行きました。
そしてついには武士が政権を握り、鎌倉幕府も開設されるので
す。武家政権は、国ごとに「守護」という管理者を置き、その下
に「地頭」という荘園の支配者を置いて、支配を強めます。
こうして武士は土地の支配者となるのですが、完全にその土地
を傘下に収めたわけではありません。
というのは、所有権がまだ朝廷、すなわち天皇にあったからです。
支配権が武士、所有権が朝廷(天皇)という、何とも中途半端とい
うか複雑な状況が、鎌倉時代にも続いていたのです。
「支配権」と「所有権」、どっちが強いか?本来なら、地主である所
有者、つまり所有権の方が、強いはずです。しかし所有者である
朝廷にはすでに統治能力がありませんでした。逆に支配者たちは
その土地を治め、住民たちとのつながりや信頼も深めております。
そうしたことを武器に土地の支配を深め、やがて所有権まで奪う勢
いでした。それに我慢できない朝廷が何度か乱を起こし、それぞれ
の駆け引きが続いたのでした。