「姉川の合戦」で織田信長が「虚脱たるべし」となった理由。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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1570(元亀元)年、姉川の合戦が起き、この戦いで織田

信長は徳川家康と組んで、朝倉義景と浅井長政の連合軍

を撃破しています。

 

浅井長政の妻は、織田信長の妹のお市の方です。つまり

長政は信長にとって、義弟になるのです。そんな長政を倒

したことからも、信長の残忍伝説がエスカレートしました。

 

しかし何度も言うように、実際の織田信長は人情家でした。

浅井長政を憎む気持ちなどさらさらなく、反旗を掲げたのは

長政の方でした。

 

タイトルにある「虚脱たるべし」は、『信長公記』にある言葉で

す。浅井長政が自分に敵対する立場を取ったと知った時の

信長の状態を、表現したものです。

 

信長はまさか長政が自分を裏切るなど考えたことなど思って

いなかったそうで、茫然自失、全身の力が抜け落ちた状態だ

ったということです。

 

長政は何故、信長を裏切ったのか?長政の父・久政に、言わ

れたそうです。

「信長は姻戚であるが、信頼できぬ。朝倉には旧誼がある。こ

の際、信長にそむいても、朝倉を助けなくてはいけない」

 

つまり、父から「義理人情を大事にしろ」というようなことを、言わ

れたのです。これについて松本清張が、面白い表現をしています。

「社長職を譲られた坊ちゃんが、時代が変わりつつあるのを知り

ながら、会長の言うなりになった」

 

まあとにかく、戦国時代に旧式の義理に走らされた浅井長政の

失敗と、言えるかもしれません。一方人情の世界で言えば、信

長は長政を信頼していたわけですね。