服部半蔵はあくまで忍者集団の元締めで自らは忍者ではなか
った。というのが今では、ほぼ一致した見解となっています。
槍の名手で、人物的評価も高く、忍者たちからも武将たちから
も、大きな信頼を集めていたことは、確かです。ただし忍術は、
使えなかった。忍者では、なかったということです。
しかしそんな服部半蔵が徳川家康とその家臣たちの前で忍法
を披露したという記録も、存在しているのです。
服部半蔵はその席で、まず扇を開いて自分の前に立てます。
何事が起こるのかと、一同はその扇を固唾をのんで見つめま
す。半蔵が手を放しても、扇は倒れません。
いつ倒れるか、そればかりに一同の注意が集中している間に、
服部半蔵はするすると音をひそめて、家康の背後に廻ります。
そしてお小姓の持っていた刀を取って、家康の首に当てて「い
かがでござる」と言ったのでした。
一同は、大いに感心し、盛り上がったそうです。まあ、人間心理
を利用した忍法ではありますが、厳密には、今でいう「マジック」
ですね。
本者の忍者たちにしてみれば初歩的な技なのかもしれませんが、
それだけに服部半蔵も身に着けることができたのでしょう。
元締めとしての役目をしながら、腕利きの忍者たちと触れ合う時
間は多々あったはずです。そうしたふれあいの中で、いくつか技
を教わり、身に着けたことは、充分考えられます。
当初はたとえ興味本位だったとしても、いつしかその奥の深さに
はまって行き、マジシャンとして技術を高めたのではないでしょう
か。