富山の薬売りといえば、各地を廻って1年分の薬を置いてい
き、翌年使用分の代金を回収するという、クレジット販売で今
も有名です。
これが始まったのは戦国時代で、越中の農民が農閑期に薬
の行商を始めたのが最初と言われます。
ただ「薬の行商」といえば、忍者が表向きの姿としてやること
も多いです。富山の薬売りに忍者は、いなかったのでしょうか?
実は「富山の薬売り」が誕生した頃、お隣り越後の上杉謙信
が使っていた忍者「軒猿」も、大活躍していました。勿論軒猿
も、薬の行商は、やっていたようです。
そしてその接点が、色々囁かれています。富山の薬売りには
2種類いて、純粋に農民の出稼ぎ的薬売りと、それに紛れた
上杉謙信を元締めとするスパイ集団がいたという説が、大いに
信憑性を帯びているのでした。
実際に農民たちが「軒猿」のようなスパイ活動、忍者活動をす
るのは、むずかしいでしょう。しかし軒猿と呼ばれる忍者たちが
薬売りに紛れて情報を得るのは、むずかしいとは思えません。
これは恐らく、真実でしょう。
ただその富山の薬売りは、戦国時代が終わって江戸時代にな
ると、更に盛んに活動するようになりました。この頃には、純粋
な薬売りだったと思います。