『源氏物語』を後世に伝えた驚くべき方法。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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紫式部が生まれたのは、970年頃とされます。20代からす

でに『源氏物語』は書き始めていますので、執筆後1000年

以上が経っていることになります。


今も版を重ね、世界的な名作、ベストセラーでもあります。そ

れでは、この作品が書かれた当初からベストセラーだったか

というと、決してそうではありません。


というのは、この平安時代前半、印刷技術というのが、ありま

せん。従って、一冊一冊書き写され、写本が廻し読みされてい

たということなのであります。


現在予想されているところでは、紫式部が健在な頃、『源氏物

語』の写本は数十部で、それを廻し読みしていたと考えられて

いるそうです。なので、愛読者は、数百人くらいだったのではな

いかと、言われているのです。


彼女の作品のファンだったと確実に言えるのは、一条天皇と

中宮彰子、摂政の藤原道長、藤原公任あたりだとされていま

す。この人たちが、作品の普及に尽力したのです。


平安時代の『源氏物語』写本は現在残されておらず、現存す

る最も古い写本は、鎌倉時代の藤原定家によって書き写され

たものです。


それにしても、莫大な量の作品です。それらを書き写すのは

かなりの労力です。しかしそのおかげで後の日本文化が発展

し、世界的な名作として現在名を馳せているのですから、そう

した地道過ぎる方法で後世に伝えた人たちの労力と熱意にも、

感謝すべきでしょう。


勿論紫式部は、まさか1000年経っても、しかも世界中で読ま

れることになるなんて、まるで想像もせずに書いたはずです。