織田信長の研究熱心さを物語る或るエピソード。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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織田信長は、「桶狭間の戦い」でヒョウが降るのを読んでそ

の時間に合わせて今川義元の大軍に攻め入ったというエピ

ソードが残っています。これには異説もありますが、ともかく

織田信長が現在の気象庁以上の気象学を備えていたこと

は、事実のようです。


更に、次のようなエピソードがあります。


或る時、武田信玄が信長の所へ、秋山という使いを送ったそ

うです。信長は、清洲城で歓待し、色々なことを訊きました。


「武田軍は一体、どのくらいの兵力があるのか?」

すると秋山は、「6万です」と答えます。

信長は「なるほど」とうなずいた後、

「甲州から駿府へはその兵力の移動で、どのくらいかかるの

かな?」

すかさずそう訊ねました。


秋山は、「3日です」と、答えます。信長は、

「それは岩殿を通ってか、それとも富士の麓を通ってか?」

そう訊ねました。秋山は、

「富士の麓を通っての行程です」

と、答えたのでした。


秋山が帰った後、信長は笑いながら、言ったそうです。

「あの男は、武田軍の兵力を2倍に水増しして、俺に告げてい

る」

部下が「何故ですか?」と訊くと、更に次のように答えました。


「富士の麓を通り抜けるのに3日といえば、3万がやっとだ。6

万もいたら、その倍はかかる。その上、荷物を運ぶのに5千は

必要だから、恐らく武田の軍勢は2万5千というところが実体だ

ろう」


部下は、感心しました。そしてこの信長の読みは、当たっていた

のです。

しかしこれに油断することなく信長は、武田の軍法を研究し続け、

部下たちにも研究をさせていたそうです。