女性には鉄砲の名手が多かったようです。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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奥州の伊達政宗の『伊達文書』に、「田村より輿入れの三春

御前さまは、鉄砲を巧みに操れる」という記述があります。


実際、この三春御前率いる女鉄砲隊が、正宗の父輝宗を誘拐

した二本松義隆の一行を一斉射撃で皆殺しにしているのです。

三春御前自身も鉄砲の名手でしたが、部下の女性たちも、なか

なかのものだったようです。


また、本能寺の変の後、秀吉と共に光秀を討ったとされている

池田恒興の長女で花隈城主となった池田せん女という女性が

います。


『美濃国諸旧記』には、「岐阜城を取り囲みし軍勢の内にて、真

っ先に城門近くの松並木を楯に取りて、池田方の先手、ものす

ごく鉄砲を討ちかけるに、城主三介信孝殿も、女めらの弾玉の

餌食になるは無念なりと、野間へ落ちたそう」という一節が、あり

ました。


この記述は、敵方の視点から書かれていますので、完全に翻弄

されて悔しさ一杯の様子がありありと見て取れるのです。


つまり、いかに手ごわかったかがわかるのですが、池田せん女

という女性、単なる鉄砲の名手なだけでなく、戦術にも非常に長

けていたようですね。


この2人は、氷山の一角です。戦国時代、鉄砲隊は主に女性の

担当だったようです。幕末の戦いでも、女性の鉄砲隊が活躍し

た記録がありますし、女性に鉄砲は、適していたようです。