家紋の始まりと、徳川家の家紋が三ッ葉葵な理由。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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時代劇で、よく「三ッ葉葵(みつばあおい)」の御紋が、使われますね。

これは、江戸時代の将軍家、徳川家の家紋が三ッ葉葵だからです。


この「家紋」という物が使われ始めたのは、平安時代からです。しかも、

決して由緒の高い始まりでは、ありません。


その時代、公家や役人たちは、皆牛車に乗って宮中に通いました。しか

しその牛車というのは、今の自動車のように、ナンバープレイトなどない

し、車種の名前があるわけでもありません。


従って、どれも似たり寄ったりだったわけでして、1カ所に多くの牛車が

駐車をすると、どれが誰のものか、区別がつかなくなるのでした。そこで、

それぞれに目印をつけ、他の牛車との区別をしたのです。その目印とい

うのが、家紋の始まりだったのです。


この家紋に凝り出したのが、武士でした。そして「葵」の御紋ですが、これ

は、京都の上賀茂・下賀茂神社の社章でした。祭りの時などに、公家が

葵の葉をかつらにしたことから、葵が社章になったのです。


徳川家康の先祖は、流れ僧侶の徳阿弥という男ですが、この男は、還俗

して、松平家に養子として入り込んでいます。従って家康は、松平家の子孫

を名乗り続けました。


そしてこの松平家の先祖は、賀茂朝臣松平太郎左衛門といいました。この

名前のうち、「賀茂」という所を引っかけ、賀茂神社の社章である「葵」を

家紋にしたのでした。