暴言で失脚した江戸北町奉行・曲淵景漸(まがりぶちかげつぐ)。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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今年6月9日のブログで、江戸北町奉行・曲淵景漸という人を記事に

しました。その時は、名采配についてでした。吉原が大火事になった際、

営業停止にしたら却って治安の悪化を招くので、民間の地に臨時に遊女

たちの住居及び商売の場所を設けさせました。


これが名采配なのかと首を傾げる方もいらっしゃるかもしれませんが、

結果としては成功しているのですから、名采配と見て間違いないでしょう。

詳しくは、6月9日の記事をごらんになって下さい。


ただしこの曲淵景漸という人、こうした思い切りの良さが裏目に出たのか、

それとも「名奉行」と謳われて調子に乗り過ぎたのか、暴言を吐いて失脚

しています。


東北地方で始まった「天明の飢饉」の影響が江戸にも押し寄せ、米不足

の上、悪徳商人による米の買い占めが行なわれ、米の値段がジリジリ上が

っていきました。


そのため、町人の代表が、奉行所に陳情に行きます。その内容は、「米の

安売り」、「米の買い占め禁止」、「隠匿米の摘発」の3点でした。それに対し、

応対した曲淵景漸は、


「しかるべき対策を講じておる。まもなく諸国から、廻米があるはずだ。それ

までの間、今しばらく待て」


そのようになだめました。ここまでは、まともだったのです。しかし陳情者に

「ありあわせの米もない」と言われ、短気を起こしました。昭和の時代にも

「米がないなら粟を食え」と言って物議を醸した総理大臣がいたそうですが、

曲淵景漸が言ったのは、


「米がないなら、野良犬の肉でも食って急場をしのげば良いだろう。我が国

にはそういう歴史もある」

でした。


これが町人の間に、広まりました。私たちが子供の頃は、江戸の町人がこんな

時でもじっと耐え忍んでいたように教えられましたが、あれは真っ赤な嘘。あち

こちで、「打ちこわし」と呼ばれる暴動の嵐が巻き起こりました。米屋、酒屋、質屋、

呉服屋と、破壊して廻ったのです。


赤坂で始まり、四谷、青山、新橋、芝、日本橋、神田と暴動は広がり、勿論お上

も必死に取り締まりに走り、自警団も組織されましたが、町人の怒りの暴走は

まるで収められないレベルに達してしまっていたのです。


ついに、北町奉行・曲淵景漸は、罷免となります。これでやっと騒ぎは収まった

のでした。町人は、強かったのです。