戦国時代のまだ前半、名古屋に城がなかった頃の話であります。加藤
清正が伊勢の桑名に宿泊した際、尾州清州の松平忠吉の家臣で鉄砲
の名手と言われた稲富一夢が訪ねてきました。
清正は機嫌よく出迎え、御馳走したばかりでなく、若い有望な家臣を6人
ほど選び、弟子入りを約束させたのです。一夢は喜び、彼らに鉄砲の話
を詳しく言い聞かせて清州へ帰って行きました。
しかしその後、加藤清正は、稲富一夢の話を一切しなくなりました。弟子
入りを約束させられた若者たちは、不思議に思い、やがては不満に変わ
って行きます。
「弟子入りといったって、少し話を聞いたに過ぎない。あれでは、何にもな
らないではないか」
そんな不満を口にし始めます。当然のように、それは主君である清正の
耳にも入りました。清正は若者たちを呼び出して言います。
「勘違いをしては、いけない。あの日の稲富一夢の嬉しそうな様子を、見た
か。彼は、あちこちで、加藤清正の所の何某、何某・・は、拙者の弟子であ
ると吹聴するに違いない。そこが、わしの狙いじゃ。いざ戦となった時、加藤
の身内には一夢の門人で火術の名人が控えているという噂があれば、敵
はもう、それだけで恐れる。そこがつけめなのだ」
加藤清正の言い分は、それでした。果たしてその工作に効果があるのか、
よくわかりませんが、実際そのような噂は立ち、恐れられた時期はあったそ
うです。
ただ清正という人が策士でとんちの利く人であったことは、間違いないようで
す。また、鉄砲がそれだけ恐れられたことが、裏付けられる逸話でしょう。