朝昼の記事の締めと致しまして、私が日本史をテーマにする理由。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

ブログの説明を入力します。

1980年代前半頃、アメリカで、自主性を重んじる教育法が行なわれ

ました。学びたいカリキュラムを選択し、宿題のような勉強の強制や

テストを軽視するやり方です。


しかしそれによって著しく学力が低下したため、すぐに改められたとい

うことです。


似たようなことが、日本でもありましたね。「ゆとり教育」というやつで

す。これも、アメリカのそれと同じような結果となり、悪評プンプンのま

ま頓挫しています。


人間が何かに取り組む動機として、アメとムチ、賞罰などでたきつけら

れてのものを、「外発的動機」、好奇心や興味、好きだから、やりたい

から、といった自発的なものを、「内発的動機」といいます。アメリカの

自主性教育も日本のゆとり教育も、「内発的動機」を高めることで効果

を上げようとしたのでしょうし、事実、内発的動機にかられて行なう方

が、はるかに人間は上達します。


ただし、その内発的動機を高める作業は難しく、一部意欲や意識の高い

人に限り、それができるとも言われています。


なのですが、江戸時代までの日本人は、その難しい「内発的動機」のみ

で勉強をし、世界一の学力を誇っていたのです。日本に、文部省に相当

する機関ができたのは、明治からでして、それまでは、存在したためしが

ないのです。


政府なりお上が国民に「勉強しろ」と言ったことがなく、国民にとっても、

一部エリートを除けば、勉強は遊びの一環。趣味の世界でした。しかし、

そんな国の国民は、ほぼ全員が熱心に勉強し、高い学力レベルを保っ

ていました。


また、それに呼応するように、江戸時代は、平和と秩序も、高いレベルで

保たれていました。


しかし一方で、「奔放でハチャメチャな国民性」も、しばしば外国人を驚かせ

ていたようです。安土桃山時代に宣教師が「性の奔放さ」にぶったまげた

のを皮切りに、黒船で来日したペリー一行も、「タブーが存在しない国」と

驚いたそうです。


つまり、江戸時代までの日本は、奔放で明るく、何でもありの一見無秩序

に見えるハチャメチャ性と高い教養や人間レベルが、セットになっていると

いう、超不思議の国でした。


しかし、明治以降、諸外国に接するに当たっての体面を気にするあまり、

そうした日本人の奔放な面を抑えつけ、無理に堅苦しさを押し付けたば

かりか、歴史を全て曲げて、伝えてしまいました。おかげで、「日本人は

暗くてユーモアのない固い人種」などという、「超」という字をいくつ重ねて

も足りないくらいにとてつもない嘘っぱちの常識が広がってしまったのです。


まあ、明治以降のお偉方が「奔放なる日本の歴史」を封じ込めてきた事情

も、わからないではありません。しかし、やり過ぎは明らかですし、それに

もう、隠しきれない世の中になっています。


そして、隠してはいけないどころか、逆にそれを全国民に洗いざらいさらし、

誇りとするべきでもあるのです。何故なら、その「ハチャメチャ性」と、社会

レベル、教育レベルの高さがセットだったからです。ということは、かつての

日本人の自由奔放さも、「民度の高さ」を証明するものに他ならないのです。



この私のブログ、歴史専門ブログではありません。他のことも毎日入れて

おります。ただ、歴史、特に日本の歴史もかなり主なテーマの一つになっ

ているのは、そうした本当の日本人の国民性の歴史を少しでも多くの方

にお伝えしたいからなのであります。


ということで、今日はいつもといささか違う内容の一日になってしまいました

が、明日からは、普段のやり方に戻します。一度は言っておきたかった内容

で、書かせて頂きました。それでは明日からまた、よろしくお願いします。