古代日本は「多夫多妻制」から、「一夫多妻制」へ。これ、いずれも「女尊男卑」が根底です。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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先日より、日本が江戸時代まで男女は平等だったという歴史を書いて

きましたが、今回も、その一環を紹介します。


と言いますか、これは先の4月2日に書いた記事の重複になることを、

お許し下さい。今日は、ひとつの節目といたしまして、今朝の話題を引き

ずろうと思います。


私の唱える「昔(江戸時代まで)の日本は男女平等だった」説に反論す

る材料として、「一夫多妻制」の時代があったことを挙げる人がいるかも

しれません。


確かにそういう時代は、長くありました。しかしそれも、日本の場合、他国

の「一夫多妻制」とは、事情が大きく違っているのです。日本の場合、その

前が、「多夫多妻制」でした。縄文時代にはすでに、そういう制度になって

おりました。


それだと、子供が生まれた時に、父親が誰かという問題が出て来ますが、

長きに渡って、「そんなもん、誰でもいい。子供は地域で育てるもの。地域

の男全員が父親だ」という考えが、根強くあったのです。


しかしやがて、それじゃあ、男がいくら何でも可哀想というのと、やはり便宜

上、父親が誰かというのも決めた方が良い、といった理由から、「一夫多妻

制」になりました。


ですから日本の場合、「一夫多妻」といっても、「女は一人の男しか愛するな」

ということではなく、「何人男をつくってもいいけど、子供が生まれた場合の父

親が誰だかは、決めておけ」という意味での制度だったのです。


こうなると、「男女平等」というより、むしろ「女尊男卑」に近い気がしますが。