売春婦の社会的地位が高かったという日本の特殊な歴史は恥ずべきことではありません。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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橋下徹氏の発言以来、日本の性事情が色々と話題になっております。

また、或る週刊誌の見出しに、「売買春と風俗」などという文字がありま

した。これだと、風俗業界の逆風になってしまうのではないかと、心配

になってきますね。


こういう今の社会状況を考えると、ひとつ認識しておかねばならないこ

とがあります。ということで、今日は過去に書いた話と重なる部分も多々

ありますが、ご了承願います。


断っておきますが、風俗嬢と売春婦は、違います。それをわきまえた上

で、まず、売春の歴史について述べたいと思います。


人類初の仕事は「売春」と言われるように、売春はどこの国にもかつて

頻繁にありました。日本も、盛んでした。


昨日まで、「日本は世界一の男女平等国だった」と書いたのに、矛盾す

るのではないかと感じる方も中にはいるかもしれませんが、違います。


まず、日本には、売春において、他国とは決定的に違う歴史があること

を、知らなくてはいけません。その歴史とは、売春婦、「娼婦」と呼ばれて

いますが、そうした人たちの社会的地位が非常に高かったことです。


白拍子や花魁など、体を売るとされる女性が、庶民のスターですし、発言

権も大いにありました。そこまでは、知る人ぞ知る知識ではありますが、

何故そうだったかは、明確な答えが出されていません。


なので、ここから述べることは、私個人の見解でもあるのですが、まず間違

いないと思います。


古代より、日本には、「巫女」という、女性の霊能力者が、数多く存在し、

社会に君臨しておりました。卑弥呼も、その一人です。卑弥呼は定かであり

ませんが、そうした「巫女」たちの多くが、性を売っていました。


これはつまり、「体を売る」という感覚ではなく、「性を媒体にして男性に力を

与える」作業として、セックスなり性的作業が考えられていたからなのです。


これも何度も書いてきましたが、人間の中には、「陰」の因子と「陽」の因子

があります。しかし、生まれながらにその両方を備えているのは、女性だけ。

男性は、「陽」の因子のみを持って生まれてきます。後に「陰」の因子も身に

つけるのですが、そのための最も有効な手段が、女性の体に触れることだ

そうです。


体に触れるというのは、セックスまでいかなくても、握手で大丈夫ということ

です。まあ、セックスだと、その密度も上がるのは確かでしょうが。


古代より日本人は、そのことを、認識していたのだと思います。従って、昔の

日本において、「売春」は、体を売るといった暗いイメージではなく、優れた

女性が男性に力を与える「施術」だったのでしょう。娼婦とされる女性の地位

が高かったのは、そのためだと思われます。


と、こうしたことを書くと、必ず誤解を呼ぶので、断っておきます。私は、今の

時代において、売春を肯定しているわけではありません。昔のこうした考え

のもとに売春を復活させるのは無理ですし、必要もありません。


ただし、こういう歴史があったことは、知っておく必要があるし、世界に対し

ても、もはや隠す時代ではなく、逆に、完全な理解はされないまでも、根気

良く説明はすべきだということを思うのです。


過去、日本は、売春が盛んでしたが、「女性差別」や「男尊女卑」の歴史は、

江戸時代まではなかった。それどころか、ある時代までは、売春が施術の

一種だった。これは、歴史として大事です。勿論、それを復活させるべきで

はありませんが、恥ずべき歴史ではないことも、確かなのです。また、今あ

る風俗業が蔑視されるいわれも、全くありません。


ということを、どうしても述べておきたかったのでした。ただ、こういうことは、

一度で説明できることではないので、これからも書いていきます。