日本神話の性理念が語る日本の「男女平等」の歴史。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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この話は、すでにずっと以前記事にいたしましたし、著書「愛欲の日本史

裏絵巻」の中でも書いていることですが、昼に更新した記事と関連してき

ますので、ここでまた取り上げたいと思います。


アメリカと対する時、日本が「女性の権利」を軽視した国だと見なされるの

を、非常に恐れる意見が多く見られます。理由は、アメリカが女性の人権

を大事にするという理念があるからだそうです。


そこで、日本神話について述べようと思います。世界各国に伝わる神々が

それぞれ「男神」、「女神」という分け方をされるのに対し、インド、ゲルマン、

そして日本の神は、性別がありませんでした。


そしてもっと言えば、日本の神の場合、性別がないというより、「両性具有」

だったのです。最古のアメノミナカヌシノカミから何代かまでは、男女両方の

体を有していました。


この両性具有の体が別れて男性と女性という二つの性別が生まれたという

考えでして、ちなみに初めて性別を有したのが、イザナミとイザナギです。


つまり、男性と女性は、元々一つの体だった。従って、人は自分と一体だっ

たもう一つの体を探し続ける。その行為が、異性を好きになること。お互い

見つけたと思えた瞬間にそれは恋愛という感性になり、昔のように一体に

なろうとする行為がセックス。しかしそれをしたところで、一つの体には戻れ

ないため、二人の間に新たな子孫という生命を誕生させる。


というのが、日本神話の基本理念です。


一方、旧約聖書にあるアダムとイブの話だと、男神のアダムは神によって

創造されたものだが、女神のイブはアダムが一人で寂しそうなので慰める

ために創造されたということになっています。これって、男性優位の発想で

はないですか?


しかしそれに対し、先の日本神話の基本理念は、究極の男女平等です。こ

れはどう解釈しても、平等にしかありえないですね。しかも日本では、少なく

とも江戸時代まで、この理念は守られていました。だからこそ、性に対して

おおらかな伝統があるのです。


一見、男尊女卑のような形態はありますが、それは明治以降に強引に曲げ

て解釈されたからで、実際には女性の権利は守られたばかりか、女性が

常に堂々としていた歴史があることは、このブログにおいても、常に紹介し

続けております。


勿論、詳しい具体例は、一つ一つの記事で確認していただくしかないので

すが、とにかく日本は、究極の男女平等の理念で発達してきた国。ですか

ら、女性の権利などということでは、世界最先進国だったのです。明治政府

がそれまでの社会を否定するために強引に曲げて伝えただけなのです。


だから、アメリカに対してこの問題で卑屈になる必要もないし、両国に溝が

できる原因になど、なる要素もまるでないのです。