風景浮世絵の傑作として名高い「東海道五十三次」は、江戸後期の
トップ浮世絵師、歌川広重の筆によるものです。
この作品、1832(天保3)年、馬を朝廷に献上するために京都に向か
う幕府の一行について行った広重がその時の記憶に基づいて描いた、
というように、長らく言われてきました。
しかし、近年になって、その半数近くは、1797年に出版された旅行
ガイド「東海道名所図会」の挿絵がもとになっている他、十返舎一九
の「東海道中膝栗毛」(1813年)などからの転用も見られるというこ
とです。
実際、歌川広重は旅に全く興味がなく、東海道を歩いて地方都市を
旅行したなんて経験はないそうです。
まあその辺は、水戸光圀が「旅嫌い」なのに諸国漫遊記なるものが
作られたのと、似ている気がします。
つまり歌川広重は、実際に旅をせず、旅行ガイドの挿絵を見たり、小説
の描写から想像力を働かせて、風景浮世絵を描いたのでした。
それでいて広重独特というか、見事なオリジナリティーを感じさせる作風
を作りだしているわけです。彼の実績や作品の価値にケチがつくどころ
か、逆にその才能が再認識されるのではないでしょうか。
尚、余談ですが、私もかつて、これと似たことをやった経験があります。
某小説誌から、「旅情官能」の短編小説を依頼されました。日本国内で
の、旅先での女性のアバンチュールを描いた官能小説ということです。
その時私は、九州の阿蘇を舞台の物語を書いたのですが、実は私、阿蘇
に行ったことがありません。図書館から旅行ガイドを借りてきて、地名や
風景写真、その地の特徴を頭に入れながら、何とか書き上げました。
経費の関係で、ああするしかなかったのでして、阿蘇の方々には申し訳
なかったのですが、この歌川広重の事実を知った時、”何だ、広重だって
やってるじゃん”と自分を慰めてしまう弱い私なのでした。