かつての日本の性教育の場でもあった「若者宿」という組織 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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明治よりまえまでの日本が、性というものに対してきわめておおらかで

発展的だったことは、最近ではもうすでにいくつものデータが証明して

おりまして、既成事実として定着しております。


私もこのブログで、そうした日本人の性のおおらかさについてはしょっち

ゅう触れてきましたが、その象徴のひとつとしていえるのが、地方の村を

中心に存在していた「若者宿」という組織というか制度です。


村の若者たちは、昼間に労働をした後、夜は村の外れにあるこの若者宿

に合宿して、様々な知識を伝授されたり、実践します。講師役には、先輩

や大人たちが入れ替わり立ち代わり入ることになります。


ここでは、仕事のやり方も教わりますが、最も重要なのが、「性教育」で

した。


この若者宿に入る年齢というのは、14歳から17歳。これは地域によって

違いますが、おおよそ今の中学生から高校生の年齢ですから、すでに性

に関する知識は得ています。従って、この若者宿で行なわれたのは、主に

実践でした。


いかに、より良く性行為を行なうか。相手にも喜んでもらい、自らも満足の

できる行為ができるか、講義を受け、時には実際に訓練もするのでした。


お堅いというか厳格なキリスト教の国や地域では、女性が結婚まで処女

でいなくてはいけないという考えがあったりしましたが、日本の場合は逆

でして、性に対して未熟な感性や体験のまま結婚することはその後の不和

を招く最大の原因とされ、好まざることだったのです。


勿論、地方の村だけでなく、宮中でも、先輩たちによる教育の場として、

若者宿と同じような場が設けられていました。『源氏物語』にある「雨夜

に品定め」のようなシーンは、当たり前のように行なわれていました。


こうした制度の弊害がないわけではなかったでしょうが、性以外の部分で

も連帯感を高めるなど、メリットの方がはるかに多かったようです。