日本初の喫茶店は、室町時代にできました。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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『養生訓』といえば、江戸時代に貝原益軒が書いた健康指南書です。

ただし、それとちょっと似た名前の本が、鎌倉時代に出されておりまし

た。タイトルは『喫茶養生記』。禅僧・栄西が、書きました。


これは、茶の葉を粉末にして飲む、抹茶のたしなみ方とその効用、健康

法について記したものですが、「喫茶」という言葉がすでに使われてい

ることに、注目したいと思います。


この本によってお茶は広く飲まれるようになりましたが、最初は、健康

のため及び、睡魔を追い払う覚醒用が主でした。


しかし次第に、お茶は愉しんで飲むものに変わっていきます。その代表

的なものが、「闘茶」と呼ばれるものです。これは、4種の茶を10回飲ん

で産地を当てる、などといったゲーム感覚で茶を楽しむお茶会のことで

す。


ただ、この闘茶はやがて莫大な賭けに発展したため、禁止令が出されて

しまいました。


その後、室町時代になると、薬用といった堅苦しい感覚でもなく、闘茶の

ような賭けの対象でもなく、純粋にお茶を味わい、楽しもうという習慣が

広がっていきました。


そして1403(応永10)年、道覚という僧が、東寺の門前で参詣者を相手

に、一服一銭でお茶を飲ませる店を開きます。


これが、日本における「喫茶店」の第一号となります。


今の、コーヒーを出す喫茶店と違うじゃないかと言う人もいるかもしれませ

んが、さっきの栄西の著書に「喫茶」という言葉が使われていることに、も

う一度注目してみて下さい。元々喫茶店というのは、コーヒーでなく、お茶

を飲ませる所だったのです。


だからこそ、コーヒー中心になった今も、「喫茶店」という呼び名は、変わっ

ていないのです。コーヒーの普及と共に、お茶を飲む喫茶店にも導入され、

やがてはお茶を押しのけて主流になっても、「喫茶店」という当初の伝統は

守り続けているわけです。


ですから、この東寺の前で出された店が、喫茶店の第一号であることに、

間違いはありません。


ということで、アフレコを終えて帰ったのが、日付の変わる直前。テンション

も下がり切ってはいないので、寝る前に更新をしてしまった次第です。