吉原で花嫁修業?をした女たち | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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江戸時代の吉原で働く女たちというと、家が貧しくて身売りせざるをえな

かった女たち、親の借金を肩代わりしている女たちを思い浮かべる人も

少なくないと思います。ひと昔前の時代劇では、そういう描き方がされて

いました。


しかし実際は、そのような悲惨な例は、ないことはないですが、少数派だ

ったようなのです。


確かに、裕福な人はほとんどいなかったのですが、その逆も少なく、中流

家庭の娘が圧倒的に多かったのです。目的は、出稼ぎ。吉原には年季と

いうのがありまして、それが7年から10年。従って、結婚資金を稼ぎ、この

年季が明けたら故郷に帰って結婚を、というパターンも少なくなかったそう

です。


というのは、吉原にはこの年季の前に「禿(かむろ)」と呼ばれる見習い時代

があるのです。この時代に、男女の仲をはじめとした社会勉強をし、その後

年季を経て、明けるのが24~25歳。吉原で得た金で結婚道具を揃えると

いうパターンです。


ある意味、社会学習の場と考えられていて、むしろ吉原での年季奉公を

奨励し、それを終えることをステイタスと考える地方もあったといいます。


それを聞いて、私が思い出したのは、かつてのフィリピンでの話です。もう

20年以上前、バブルの時代、フィリピンにロケで行きました。当時、フィリピ

ンにも義務教育はあったものの、実際に受けているのは4割で、その他の

子たちは働いているということでした。


男の子は単純作業、女の子も最初は同様ですが、ある程度の年になった

ら体を売るというケースが最も多かったそう。吉原より、目的は悲惨。時代劇

にある吉原のパターンです。それでも、やがて大人になった時、男と女で話

が合わなくなり、女性は日本を中心とした外国人と結婚したがると聞きました。


理由は、売春をする女たちは、多くの人と当然のことながら接し、色んな話

を聞くから、知識が広まります。すると、好奇心と更に客の話についていける

ように本も読みます。更に脳は鍛えられます。逆に男性は、毎日同じことの

繰り返しで話す相手も同じだから、知識も精神年齢も上達しない。当然、話

も合わなくなるというのです。


これは、現地で何人もの人から、聞いたことです。確かに、それは大いにあ

ることでしょう。しかし、その場合、男性が気の毒ですね。


江戸時代の日本人の場合、ほとんどの人が何らかの教育を受けていたため、

男性もそれなりの知性は身分に関係なくありました。かつてのフィリピンのよ

うな悲惨さはなかったといって良いと思われます。ただ、吉原の女性たちが

このフィリピンでの話のような知識の広め方をしていたことは、確かでしょう。