昨年暮れ、足利8代将軍・義政とその妻の日野富子について、触れてい
ます。この足利義政というのはユニークで、政治オンチというか、興味が
なく、金も全て妻の富子に握られていて、質屋に通うほど。
しかし、女性にモテ、40数人の側室というか愛人がいました。その原因
は、茶の湯を広めたり、銀閣寺を建てるなど、芸術文化に精通し、洒落
心に長けていたからだと思われます。
そしてこの足利義政が、日本の「わび・さび」という特有の美観を確立さ
せたとも言われているのです。
銀閣寺とは名ばかり。銀など飾っておらず、経費のかからない質素で悪く
言えば貧乏な寺です。これは、一説にはスポンサーである妻の富子が
度重なる夫・義政の浮気にキレて資金援助をストップしたからとも言われ
ていますが、正確には義政自身が華美を避けたからだと思われます。
事実義政は、地元「明」では全く評価されなかった絵を絶賛して飾ったり、
朝鮮で農民が使っていたような茶碗も高く評価して世に広めたりしていま
す。そうした美観が基礎となって、「飾らない文化」の代表である「東山文化」
というのが、生まれました。そして、連歌の宗祇や絵の雪舟といった優れた
芸術家も生んでいます。
やがてこの発想は、江戸時代の「粋」の文化にもつながっていくのでした。
飾らなければ全て良いというのではなく、素朴なものの中にもふとした個性
と価値を見出すということ。言い換えれば、「通」の文化です。
ところでこの足利義政は、茶の湯の会や香道の会などを、しばしば開いて
いました。この「香道」というのは、香を焚いてその香りを嗅ぎながら種類を
当てるという、風流な遊びです。
その際、前の香の残り香があってはまずいので、それを消し、鼻の疲れを
癒すために、或るものが使われました。
それは、漬物です。漬物の発酵された臭いが、香り消しに良いとされたの
です。今でも漬物を「香りの物」と呼ぶことがよくありますが、これは足利義政
の時代に「香り遊びには欠かせない」物として扱われたのが始まりなのでした。