「多分女だった上杉謙信」を愛した3人の女性 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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昨日、一昨日の続きをしたいと思います。上杉謙信と女性。少なくとも、

3人の名前が上がっております。


まずは京都の公家の娘・絶姫。美しく、舞いの上手な女性だったと言われ

ています。彼女は兄の近衛前嗣の紹介で、謙信と知りあい、彼(女)の前

で舞いを踊っています。


謙信は彼女の踊りを絶賛し、彼女も謙信にぞっこんでした。しかし、深い

仲になることはありませんでした。


次には、謙信が関東に侵入した際に制した上野国の将が人質として差し出

した、伊勢姫です。同国の諸将は、謙信に対して人質を送って降伏したの

でした。


この女性も謙信に惚れて、自らその居室をしばしば訪れています。しかし、

伊勢姫の後ろにいる千葉氏とその周辺は、彼女をよりけしかけ、自分たち

が上野国の支配を任せられるように持っていこうとしました。つまり、姫を

政略の道具にしようとしたのです。


その空気を察した謙信は、姫を避けるようになったのでした。


もう一人は、上杉家の重臣・直江実綱の娘です。実綱は、二人の娘を、身

の周りの世話をさせるために謙信に差し出しています。そのうち、妹の方は

すぐに直江兼続の妻にさせましたが、姉はしばらく謙信の近くで家政婦兼

秘書のような役目を果たしています。従って、この人が最も近しかったとい

えるでしょう。


しかし、謙信の妻になることはありませんでした。この時代、「燃えるような

恋をして結婚」なんてことは、滅多にありません。まして、「友達としてはい

いけど、恋人とか結婚相手としては・・」なんてことを言ったら、「お前、熱で

もあるのか」と言われました。友達として相性が良ければ、充分過ぎたの

です。


そんな中、直江実綱の娘は、長く謙信の許に仕えたのだから、相性は良く、

夫婦になってしかるべきです。また、人質として差し出された娘は、言葉は

悪いですが「担保」のよいうなものですから、側室にしてずっとその周りの

人間に有無を言わせないようにするのが恒例です。更に、その女性に子を

孕ませれば、いっそう支配は強まります。


しかし、それをしませんでした。最初の絶姫は、ショックから病気になり、亡く

なっています。そしてもう二人は、尼となりました。


これだけ見ると、謙信は冷たい男に見えます。しかし、冷たかったら逆に女

たちをものにして、政治の道具にしたはずです。何せ3人とも、謙信にぞっ

こんで、何があってもついていくというほどだったようですから。


しかし謙信はそれをせず、他の男性との幸せな結婚を勧め、世話までしよう

としていました。


またもうひとつ不思議なのは、3人の女性が、それだけ惚れていながら、結婚

に関しては、意外とあっさりあきらめていることです。その後の身の振り方を

見ると、謙信が忘れられないのは明らかなのに。これは、「あきらめさせる特別

な理由」があったと見るのが妥当ではないでしょうか。更に、謙信の周囲も、

嫁をとることをそれほど強く説得していないのも特徴です。


まあ、全ては「謙信が女だから」ということであれば、全ては説明がつくのですが。

ちなみに、上杉謙信という人、戦で負けたことがありません。その気になれば、

信長・秀吉・家康らを退けて天下人になることもできた人です。しかしそういうこ

とにも、まるで興味がなかった。というより嫌いだったようです。また、伊勢姫の

時のように、女が駆け引きの道具にされる(厳密には、道具にされたのは男も

一緒なのですが)のも、嫌っていました。それも、自らが実は女性だからという

のが理由のひとつかもしれません。


武田信玄は死ぬ時、「上杉謙信ほど立派な人間はいない。生まれ変わったら、

謙信の家来になりたい」と言い残しています。ライバルに、そこまで言わせてい

るのです。


そんなスーパーヒーロー(ヒロイン)、上杉謙信。実は、この人の「女だった」説、

否定的な見方がほとんどですが、否定する合理的な根拠というのも、示されて

いないのです。「まさかそんなこと」という常識の壁によって否定されているの

です。

しかしその「常識の壁」というのも、かなり怪しいものなのですね。


それらについて、そして謙信の人間像についても、来週早々触れます。ここまで

書いた以上、あと2回ほどやって、ひとまず・・ということにしたいと思います。これ

から週末にかけては、私、目の前の現実に戻り、セリフチェック及び役作りに入り

ます。その間も、歴史ネタの更新は続けますが、もう少しお気楽な内容にします。