意外とバカにできない「上杉謙信は女だった」説。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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強きを挫き弱きを助ける正義の味方、私利私欲にかられた戦いは一切

しない。いざ戦うとなると、自らを「毘沙門天の化身」と名乗り、敵の矢玉

を全く恐れず敵陣目指して駆け抜ける。


まさに「格好いい!」の究極を行く武将といえば、上杉謙信です。更にそ

の上イケメンだったのですから、もうスーパーマンか天上人です。ただ

彼のプライバシーに関しては謎が多く、一部に「女だった」説もあります。


これは、謙信が一生独身だったこと、お小姓は何人かいたこと、武将に

してはやや小柄でヤサ男だった、女性相手に、恋愛よりも友達付きあい

が上手だったことが表立った理由とされます。ただそれだけでは根拠が

弱く、こじつけだろうという見方が主流ではあります。


ところがです。江戸時代初期の大名松平忠明が編纂した『当代記』によ

ると、


「上杉謙信の死因は大虫だった」


そのようにはっきりと書かれているのです。この「大虫」というのは、当時

「婦人病」を指す言葉でした。現在ならばそこまで重症になることは珍しい

のですが、江戸初期くらいまでは、更年期障害による生理不順が重症化

して子宮内膜症を併発し、命を落とす女性が少なくなかったそうなのです。


また、別な逸話として、上杉謙信には腹痛の持病があり、毎月数日間、

部屋にこもっていたという記録もあるのです。これは、生理が重い体質だ

ったとも考えられるのではないでしょうか。


更に、日本にはキリスト教布教を名目にして、数多くの宣教師がスパイ

目的で訪れています。彼らは当然報告書を書くのですが、スペインの

ゴンザレスという宣教師が国王に宛てた報告書が見つかり、その中に


「上杉景勝は、その叔母が佐渡金山を開発して得た資金を大量に保有し

ている」


そんな記述があるのです。

上杉景勝は、謙信の姉の息子です。また、謙信は佐渡金山を開発した

という説は、根強いのです。となると、この「上杉景勝の叔母」という人物

として誰よりも考えられるのは、謙信ということになります。謙信は、叔母

だった?


勿論それでも、「上杉謙信は女だった」説への否定意見は、多いです。し

かし、これだけの根拠があるにしては、軽く見られすぎてはいませんか?


上杉謙信という、超魅力的人物のこのまた面白すぎるテーマに関しては、

やはり一回では終えられませんし、終えては失礼なほどの大スターなの

です。従って、近々続きをやります。明日は午前中に出かけるので、でき

るかわかりませんが、近々必ず。