芸能者(人)とスパイの歴史的関係 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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『陰徳太平記』によると、毛利元就は3人の琵琶法師を抱えて情報の

収集に当たらせていたそうです。いわば、スパイ活動ですね。


そして、徳川家康の側室だった西郷局は、瞽女(ごぜ)と呼ばれる盲目

の旅芸人、言ってみれば琵琶法師の女版ですが、そうした芸人たちの

タニマチとなりながら、やはり情報の収集に当たらせていたと思われます。


このように、昔は芸能者がこうしてスパイ活動を兼ねるということも、珍し

くなかったようなのです。


まず、映像のない時代ですから、芸を見せるのは常に生です。ファンと

のふれあいは、多かったでしょう。となると、周囲に人が集まっているこ

とが多いのです。当然、噂話などは、よく耳に入るでしょう。


その中で、興味を引く話があれば、さりげなく訊ねたり。そうした芝居は、

芸能人ならお手のものです。訊かれた側も、ひいきの芸能人が相手と

なれば、つい口が軽くなるケースも多かったでしょう。更に芸能マスコミ

というのもないに等しいので、行動を見張られることもなかったと思われ

ます。


そんなわけで、かつて芸能者がスパイに向いていた時代がありました。

そこでやはり考えられるのが、世阿弥なのです。


彼は、足利3代将軍・義満に寵愛されてトップの座に昇り詰めましたが、

義満の死後、義教に虐げられ、島流しまで経験するという数奇な人生を

送っています。


それについて、「義満とべたべたのホモ関係だったから」などと解釈する

説もありますが、もっと他の理由があったでしょう。仮に義満とそうした関係

があったとしても。


元々観阿弥・世阿弥の親子は、熊野の修験集団に属していたという説が

強く、そうなると、南北朝において南朝の流れを引いていることになります。

従って、足利家からすれば、敵方の末裔です。


義満がそれを知らないはずはなく、それで尚寵愛していたのは、スパイと

しての能力を買っていたのではないかとも考えられるのです。


そこで消えないのが、やはり「世阿弥忍者説」です。彼らの行なう「猿楽」は、

軽業を多分に取り入れたもので、世阿弥はスターとなっても尚、そうした技

を披露し続けたといわれます。


「秘すれば花なり」といった、忍者の心得と共通するような言葉を残したり、

旅を題材とした演目ではそれを単なる「旅行」とかとは違う、現世を離れた

「夢幻の境地」と結びつけるようなスピリチュアル的感覚を披露してもいま

す。


この世阿弥忍者説には、反対意見も多く、以前その説をこのブログに書いた

時も反対するコメントを頂きましたが、やはり否定できないものは感じます。


まあ少なくとも、彼が義満に対して情報屋としての役目を果たしていた可能性

は、高いでしょう。そしてそのことが、後に「くじ引きによって」将軍の座につい

たため、劣等感の塊とされる義教にとっては畏怖の対象となったのだと思わ

れます。