大正時代には、演歌師といわれる人が、結構いたそうです。演歌師、演歌歌手のことです。
ところが、その人たちの歌をCDで聴くと、どうも様子が違います。
コブシを回さないだけでなく、歌い方そのものが、がなる感じで、情感がありません。
最初はそれを、歌手の技術の問題だと、思っていました。
しかし、そればかりでは、ないようです。歌自体が、貧困やストライキがテーマ。甘い恋の歌詞など、全く出て来ません。
最近、その理由が、わかりました。
実は、当時、演歌というのは、演説の歌を指して言っていたのです。演説にメロディーをつけたものが、演歌だったそうです。
やがて昭和に入り、恋の歌も数多く生まれましたが、それらは、同じえんかでも、艶歌と言っていたそうです。
やがて戦後になると、漢字制限というのがあって、艶という字が使えなくなったため、艶歌を演歌と呼ぶようにしたということです。
すでに演説の歌というのは、絶滅していたので、演歌という言葉が新しい意味で定着しました。
それが今日まで続いているのでして、従って今の演歌歌手と大正時代の演歌師は、まるで違って当然でした。
今、演歌があまり流行らないと言われていますが、艶という字が使えるようになっていることだし、艶歌という言い方を復活させてみるのも、手じゃないですかね。