アルキメデスは軍師としても天才だった。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

ブログの説明を入力します。

「水中の物体は、水の中につけた時に押しのけられる水の重さに等しい

浮力を受けて軽くなる」


これが、アルキメデスの原理と言われております。要は、浮力の構造を、

発見したのです。これは、彼の住むシチリア島のシラクサという小国の

王ヒエロンに王冠が黄金製かどうかを確かめる方法はないかと相談さ

れた際に考え付いたそうです。


アルキメデスは、他にもテコの理論や微積分の基礎となる理論も発明

している大科学者です。ただ、彼には、もうひとつ大きな才能がありま

した。


彼が生きた紀元前3世紀は、ローマとカルタゴがにらみ合っており、シラクサ

は丁度両国の間にあったため、立場が微妙でした。


上記のヒエロン王は中立を保っていたのですが、その死後に即位した

ヒエロニムス王は、カルタゴびいきで、ローマとの対決姿勢を打ち出しま

す。当然ローマはシラクサを倒しにかかります。


小国シラクサは、たちまちローマの艦隊に包囲されました。この時活躍

したのが、アルキメデスなのです。


彼は年老いていましたが、頭脳は冴えわたるばかりで、投石器、太陽光線

を反射して船を焼くという凹面鏡、船をひっくり返すという起重機といった

新兵器を、次々と発明し、ローマ軍を一時撤退させているのです。


アルキメデスは、軍人ではありません。戦争にも興味はなく、ただ静かに

研究に打ち込みたいだけでした。それなのに、近くでガンガンやられて、

命の保証までないんじゃやってられない。少し鎮まらせてやろうか。そんな

つもりだったようです。そんな無欲さが、当時としては画期的な発明につ

ながったのでしょうか。


しかしそんなわけで、戦況に無関心。ひたすらマイペースなアルキメデス

なので、ローマの一時撤退を終戦と思い込み、研究三昧の日に戻ります。

そのため、ローマの再びの総攻撃には、気づきませんでした。


ただしその際、ローマのマルセス将軍は、兵士たちに、「アルキメデスを

絶対に殺すな!」と、固く命じていたそうです。将軍はアルキメデスの斬新

な発明に敵ながらいたく心酔し、生かして軍師として手厚く迎えるつもり

だったのです。


しかし命令は、果たされませんでした。


アルキメデスは、戦闘をよそに、図形の研究に没頭しており、踏み込んでき

た兵士に対し、「その図形を踏むな!」と、怒鳴ります。たまたま怒鳴られた

のが短気な兵士で、その一喝に腹を立て、彼を殺してしまったのです。


その兵士も、相手がアルキメデスとわからなかったそうなのですが、マルセス

将軍はアルキメデスの死をいたく惜しみ、兵士を処刑したそうです。


もしアルキメデスがローマ帝国に軍師として迎えられていたら、新たな発明

も生まれていたでしょうし、世界の歴史が変わったかもしれませんね。