人間、境界線がなくなるのは進歩だと思います | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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年が明けてから、あまり自分の時間が持てていませんでした。4日と

5日を正月にするつもりでしたが、打ち合わせとか家に持ち込んだ作

業があったりして、結局は休みという感じにはならなかったので、まだ

年が明けた感じがしていませんでした。


従って、今、この上なくホッとしています。私だけの正月が、やってきた。


ところで、私の場合、種々雑多な仕事をしているため、色んな世界の

人と会います。毎日違う人と会っている気さえします。そういう中でつく

づく思うのが、それぞれの世界の境界線がなくなったな。ということです。


仕事の技術は別として、感覚は、割と差がありません。つまり、サラリー

マンが芸能人化し、芸能人が一般人化とまではいかないまでも、常識

人化しています。


それは、しきたりや規則にも表れています。たとえば、夜でもその日

初めて会ったのであれば「おはようございます」とあいさつするのが、芸

能界特有のあいさつと永年されてきました。


しかし今は、サービス業を中心に、企業が続々とそのやり方を取り入れ

ています。逆に映画の撮影現場などでは、「おはようございます」も残っ

ていますが、「おつかれさま」から入る現場がしばしば見られます。会った

ばかり、まだ疲れていないのですが、お互い頑張ってるよね、という合い

言葉のようなものでしょうか。


昨年、島田伸介氏が引退した時、「最近、破天荒な芸能人がいなくなって

つまらない。昔はそういうのばっかりだったのに」とある芸能評論家が言っ

ているのを目にしました。しかし、島田伸介氏がどうとかは置いといて、

私は、そうなるのが必然だろうし、悪いことだとはおもいません。


昔は、サラリーマンが堅物が当たり前だったのです。あまりに堅気過ぎた

のです。そのため、芸能人はそういう人たちに自分たちの生き方の存在

価値を見せつけ、対抗するために、破天荒をひけらかす必要があったの

だと思います。堅物なサラリーマンVS崩れた魅力の芸能人という対決図

が常に描かれていたのです。


しかし今は、サラリーマンが決して堅物じゃなくなってきた。くだけて芸能人

化してきた。となると、芸能人が破天荒である必要性がなくなってしまった

のだと思います。


それは、私は時代の進歩だと思います。そもそも、サラリーマンが堅物であ

る必要がありません。それどころか、柔軟性、遊び心がないと、良いアイデア

や商品開発ができません。また、芸能人だって、多くの場合一般人の役を

演じるのだから、一般社会のことに疎かったらまずいのと違いますか。


そもそもサラリーマンだから品行方正で世間体を気にしなければいけない。

芸能人だから破天荒でなくてはいけないという発想自体、個性があるようで

ないと思えるのですが。


だから、くだけ過ぎた会社員(ОLも含めるからこの言い方)、AVよりエロい

会社員、品行方正な芸能人を見ると、むしろ微笑ましくなってしまいます。


まあ、そんなことを言っている私は、もしかしたら、数少なくなっている変人

かもしれませんが。