批判カタルシス効果。 | ミスター霞ヶ関への道

批判カタルシス効果。

物事の一面しか見ない批判は嫌いだ。

そういう批判はたいてい、批判によって物事を改善しようとする建設的なものではなく、批判自体が自己目的化した批判のための批判だからだ。自己満足なのだ。

ある事象が批判の対象とされているとき、その事象のデメリットを挙証するのが一般的な批判のあり方だとされている気がする。

しかし、その問題を改善しようとする批判は、問題があるとされる事象のメリットにも目を向けなければならないはずだ。なぜなら、その問題があるとされる事象が起こり、続いてきたのは、それなりのメリットがあるからこそ、その事象は成立、継続してきたはずだからである。

つまり、今こういう問題のある事象がある。これにはこういうメリット及びデメリットが存在する。この両者を比較考量するに、デメリットのほうがメリットを上回る。よって、この問題は改善の余地がある。というように、両者の側面に配慮した批判であって初めて、説得力を持つようになる、と私は思うのである。

しかし、言ってみただけ、と思えるような批判のいかに多いことか。

<批判のための批判>自体に、あるていどの需要があってのことなのかもしれない。自分が不満を(潜在的にでも)持っているとき、同じようなことを主張してくれるひとがいると、共感というカタルシス効果があるからなのだろうか。