愛しいK~人工死産とその後の記録~

愛しいK~人工死産とその後の記録~

滋賀県在住。二人の娘と、お空へ還った息子のママ。
妊娠中に息子に致死性の病気が見つかり、2020年5月に21週で人工死産しました。
滋賀県東近江市を拠点として、赤ちゃんとお別れした方のためのサポートグループ「さぼてんのはな」を作っています。



Kの6歳の誕生日を過ぎてから、なんだかんだとバタバタと過ごしていて、大きな心の波はなかったように感じていたけど、今日は久しぶりに喉のつかえと油断をすると涙が溢れてきそうになる感覚を一日感じていた日でした。


無意識的に、やっぱり出産予定日だった9月は、なんか心の奥底に置いてある寂しさに引っ張られる感じなのかな。


一日モヤモヤしながら、泣きたくても泣けなくて、言語化しょうとしても出来なくて、やっとここに書き始められてます。


最近はまた新しく人と話す機会だったり、久しぶりに会った人と話す機会が少しあって、子どものこととかこれまでの仕事とかそういうことに触れる話題があって、そんな時にちょっとずつ話を逸らして、ちょっとずつ隠して、ちょっとずつ我慢してを繰り返してると、やっぱ心のどっかで疲弊していくなって改めて感じました。


心を許した人だったり、この人は話してもいいかなって時じゃないと、わざわざ私からはKのことには触れないので、なーんか上辺だけで話してて、そういうのが続くと、あーやっぱ今でもしんどいなぁって、そういうのが溜まってての、出産予定日の反応なのかって、書いてて気づきました。


やっぱ、しんどいなぁって感じる時は、言葉にして振り返るって大切ですね。
誰かに聴いてほしい時もあるけど、そうでもないけどって時には、やっぱり文字にしてみるのは、私にとってはすごく大切なことだなって思います。


年齢的に妊娠出産の話になることはだいぶ減って来たので、前ほどすり減らす場面は減ったように感じるけど、

自分自身だったり、子どもだったりのいろんなステージが変わっていくタイミングで、避けていた人間関係にどうしても踏み込まざるを得なくて、そして、今までの人生の話に触れざるを得ないことが少しずつあって、

Kのことを隠したまま話すのはなんかちょっと無理してて、半分以上は流せてるけど、楽しかった感覚もあるけど、でもやっぱちょっと息苦しくなる感じが未だにある。


人と接する以外でも、
下の子の服を買う時、今だに男の子の服を見て、いいなって思う感覚もあるし、
下の子が、性別違うけど、ふとKに被る感覚がある。
下の子を抱きしめる時、Kを想う瞬間がある。



あぁ〜私はKを育てたかったんだな。って。

あ〜Kが生きてたら来年小学生。
どんなだったかなぁ。
3人きょうだいってどんなだったかなぁ。




やっぱ寂しいときは寂しいなぁ。
だから、時々、自分を労ってあげる日も必要なんだなぁ。
そんな時は無理しない。無理しない。