最近、昔のドラマにハマっている。

 そこには、今にはないものがある。

 それは、成長だ。

 登場人物がドラマの中で成長していく。

 それはコントローラーのないRPGをやっているような感じとでもいうべきものだろうか。

 だからこそ、感情移入できる。


 さらにもう1つ。

 人を傷つけるシーンがあること。

 しかも、傷つける本人がそれを自覚して行動に出ている。

 そうすることによって、相手はもちろん、本人も傷つく。

 そこにはフェードアウトでお茶を濁すなんていう甘ったれたものはない。

 「逃げ」がないのだ。


 相手を傷つける時、それを自覚していなければ、辛くない。

 そして、一時の感情で傷つけても、その時には傷つけていることへの罪悪感はそれほどないだろう。

 だからこそ、傷つけていると自覚して傷つけることは辛いことなのだ。

 傷つけられるのを待っているのは、ある意味、楽なんじゃないだろうか。

 悲劇の主人公になれるし、「人のせい」にすることもできるから。

 人はみな、できれば悪役にはなりたくない。いい人でいたいもものだから。


 大人になるっていうことは、自覚して人を傷つけるということなんじゃないだろうか。

 つまり、どれだけ悪役になることを受け入れることができるかということ。

 それが本当の「いい人」だろう。

 優柔不断では、かえって傷口を広げることになる。

 やるなら、心で泣いて、日本刀でスパッと切った方が、治りは早い。

 もちろん、人を傷つけないに越したことはないけれど…。


 

 やはりというべきか…。

 早くも出てきた。民主党の「政治と金」の問題。

 参議院選挙のため?強引にブチ切った前政権でもあったが、

 刷新をイメージづけることには一応成功…

 と思いきや、そうはいかなかった。


 大体、エラそーなことを言うヤツっていうのは

 どこか後ろ暗いところがあるっていうのがオレの持論。

 だから、多かれ少なかれこういうことになるんじゃないかっていうのはあった。お

 それにしても…


 結局、何も考えていない「職業議員」が多いのだろう。

 そりゃそうだ。議員辞職や解散、任期満了といった事情で選挙がなければ

 歳費や経費などで年間ウン千万円!

 「自由委任」や「免責特権」の下で、公約は破り放題。お金は取り放題…。

 本来は職務執行の自由を保障して、統一的な国家意思を形成するためのものが

 やりたい放題の根拠として機能している。

 そしてカメラの前では「やってます!」パフォーマンス…。

 

 国会議員なんて、結局、誰でもできるんじゃないか。

 そう思わせているのは彼ら自身なのだが、それに気付かないのか。

 これでは日本国憲法が掲げた崇高な理念は絵に描いた餅だ。

 残念ながら、現時点では“甘い“甘い”憲法を口実にやりたい放題は続くだろう。

 それならばいっそ、国会議員の先生方のすべての言動を事細かに規制する法律を作るしかないんじゃないか。

 中学校の生徒手帳にあった拘束のように。


 まあ、それも憲法41条の「国会は唯一の立法機関」たる定めをタテに絶対にやろうとはしないだろうけど…。

 そういう時だけ、利用しようとする。

 「法律的(憲法は法律ではないけど…)には問題ない」

 それは小悪党の言い草だ。

 


 なりたくない。なんて思ったことはなかった。

 むしろ、早く、カッコいいオヤジになりたいと思っていた。

 でも、実際、そういう年齢になってみると思う。


 「あの頃に戻りたい」


 ないものねだり…。

 アンチエイジングとか、外見的なものはお金で買えるかもしれないけど、

 「あの頃」の感性は絶対に戻らない。

 だからこそ、若さは貴重なのかもしれない。


 今の自分から「あの頃」の自分に聞きたい。

 思い描いていたカッコいいオヤジになれているだろうか?

 

 自分ではそうなるように努力はしてきたつもりだけど…