皆さん、GWを満喫されてますか??
前にも書きましたが、今年は20年に一回だかの、祝日と土日が被る年。
5月1日と2日を有給にしても、今年は9連休なんですね。
管理人は旅行は3月に、東北にお邪魔させてもらったので、GWは大阪から離れるつもりはなく、普段 なかなか会えない友人との飲み会の予定作りをしてましたが。
そのメールのやり取りの中で、友人が急に書いてきた内容にビックリ。
ノンポリの管理人と違い、彼はなかなかの信念の持ち主。
シーシェパードに、真っ向から宣戦布告です(笑)
普段は、なんにも考えてない脳みそ筋肉のバカ管理人。
ですが、良い機会をもらったと思い、この場を借りて、考えをまとめてみよう。
結論 : 管理人は、イルカを食する人がいる事に、なんら抵抗を感じない。
実際に和歌山に行けば、普通にイルカを食べれるのかは知りませんが(笑)
これも耳学問ですが、中国か韓国か忘れましたが、ペットにするDOGを「犬」
食用にするDOGを「狗」と使い分けることで、DOGを食する文化があるそうです。
管理人は進んでDOGを食べたいとは思わないけど、その国の歩んできた文化の中に土足で入ることを潔しと思わない。
和歌山では、昔からイルカを食する文化があったそうです。
それは、その地域に根ざした文化であり、それを否定する権利を誰が持っているでしょう。
他国には一夫多妻の国もあれば、宗教上の決まりで離婚を禁止する国もある。
何か一つの決まりを誰が決めれるでしょう。
多種多様な思想こそが、民主主義の根源なのに。
イルカには知能があるから可哀想、とも聞きます。
牛は何も考えずに、豚も何も考えずに生きて、ただ殺されていると思ってるんでしょうか??
先ごろ、シーシェパードの方が作った映像。
イルカが和歌山での漁で網に捕らわれ、命を絶たれていく映像であったそうです。
もちろん、その映像を見れば悲しくなるでしょう。
「生命が宿る体」が「ただの物体」に変わるシーンを見て、心が動かない人はいないのですから。
しかし、焼き肉を食べる人のうち、何人の人が、実際に牛が殺されていくシーンを見たことがあるのですか??
牛が殺されていくのを見るのは平気で、イルカが殺されていくのを見るのは無理という人はいないでしょう。
みんな、ベジタリアンでない限り、動物の死の上に、自分の生があると分かった上で、辛いシーンには目をつぶり生きているのです。
そこに一方の映像だけを見せて、「さぁ! イルカが死ぬのを見て、どう思いますか! 残酷でしょ!」と言うのはフェアではないと思うのですよ。
生き物を殺すのは残酷ですよ。当たり前でしょ…
ですが、食べ物がなかった時代に、そこで食べれる物を食べるしかなかった、その習慣はやがて文化として、その土地に根ざした。
それを飽食の時代となり、他に食べる物があるからという理由で、その地で育まれた文化を否定しようとする論拠になるんでしょうか??
イルカと牛を区別する線はどこで、誰が決めれるの??
そんなのは誰も決めれないんですよ…
だから、自分と違う思想の人がいて、その人のことを理解できなくても、許せなくても認めることしか、人には出来ないんです。
正義が相対的なものである以上、自分にとっての正義と同じ量の正義を、相手も持っているのだと、なぜ思えないのか?
なぜ、自分の側の正義を押し付けれるのか??
その許容量の少ない人が増えすぎてませんか??
結局、この疑問の溝が、管理人とシーシェパードの方々との間にある、埋め難い正義というものの捉え方の溝。
埋め難いものなら、無理に埋めなくて良い。
管理人は彼らの主張に同調しなくとも理解する。
そして、管理人はイルカを食べてみる。
ここまでが、主義主張のお話。
その主張の仕方が、暴力によるものであるのは、また別のお話で、彼らが子供であるという証明でしかない、大人の管理人が論評するに値しないので、今日はここまで(笑)
ちなみに、管理人が今日 書いたことを何もかもに適用するならば、カニバリズムを現代にも認めることになりそうですが、それは違いますので(笑)
人間の一方的な決めつけとは言え、人間は食物連鎖の頂点です。
その頂点同士での事は、また別の倫理観だと解釈してますので、一応 補足。
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