34 「加賀の女」(詞・星野哲郎 曲・島津伸男 歌・北島三郎) | 《私家版・昭和万謡集》

《私家版・昭和万謡集》

作家の五木寛之氏が「昭和万謡集」の編纂を呼びかけています。独断と偏見で私家版を作りました。

《寸感》
 金沢旅行から帰ってまもなく、大宮の芝居小屋で観た舞踊ショー、座長の「加賀の女」が忘れられない。その時の様子を以下の通り駄文に綴った。今から15年前のことである。北島三郎の曲では「薩摩の女」も捨てがたい。(2013.11.18)

 

《劇団素描》
【南條光貴劇団】(座長・南條光貴)〈平成20年6月公演・大宮健康センター〉
 芝居の外題は、昼の部「身代わり孝行」、夜の部「島帰り旅人伊三郎」であった。いずれも、初めて観る舞台、樋口涼二郎がゲスト出演(といっても、ちょい役)していた。「身代わり孝行」は、一宿一飯の恩義からヤクザ同士の喧嘩に巻き込まれた旅鴉同士が、互いに名乗り合って一騎打ち、負け鴉(樋口涼二郎)が勝ち鴉(南條欣也)に「頼み事」をする。「堅気になろうと思って親に手紙を書いた。孝行がしたいと思って貯めた金が二十両ある。今はもうどうすることもできない。どうか、この金をくにのおふくろに届けてもらいたい」勝ち鴉「ようござんす」と引き受けて、「おふくろさん」(南京弥)のところに赴く。おふくろさんは盲目、負け鴉の許嫁(光城直貴)と一緒に十五年待った。勝ち鴉の声を聞いて、盲目の母は「倅が帰ってきた」と大喜び、「そうではない」と否定する勝ち鴉の説明も聞こうとせず、許嫁との祝言を企てる。不本意ながら、真相を打ち明けられずにいた勝ち鴉と許嫁が祝言を迎える日、突然、見知らぬ旅鴉(南條光貴)がやってきた。負け鴉の「兄弟分」だ。遺髪を胸に報告に来ると、負け鴉はすでに帰郷、祝言まであげるとはどういうことか、訝しがりながら「本人」(負け鴉)に対面すると、実は「別人」(勝ち鴉)、旅鴉、大いに憤り「おふくろさん、だまされちゃあいけません。こいつは、あんたの倅なんかじゃあない。その倅を手にかけた張本人だ」と母に告げる。しかし、母は動じない。「いえ、これは私の倅に間違いありません」。「なるほど、おふくろさんが目が不自由だということをよいことに、うまくだましやがった。もう許せねえ。兄弟分の仇だ、ドスを抜け」と、旅鴉が迫る。勝ち鴉も、「もうこれまで」と一騎打ち、討たれようとしたその時、許嫁が飛びだし、母と一緒に「盾」になる。一瞬の「だんまり」(ストップモーション)、そして旅鴉の「思い入れ」、「・・・やあ、みなさんすまねえ、すまねえ・・・、今のはほんの御愛敬、オレが打った一芝居。おふくろさん、いい倅さんをもってよかったねえ・・・」という「セリフ回し」がなんとも魅力的であった。このような、さわやかな風情を演出できるのは、南條光貴、そして「鹿島劇団」座長・鹿島順一を措いて他にいない、と私は思う。
 この「南條光貴劇団」と「鹿島順一劇団」の共通点を数え上げればきりがないが、まさに「瓜二つ」なのは、座長の「生まれ育った境遇」ではないだろうか。①有力な父のもとで厳しく修行させられたこと、②しかし、その父には育てられなかったこと、③異母兄弟がたくさんいること等々。「こんなヤクザにだれがしたんでぇ・・・」というセリフが、「ツボにはまるか」「口先だけに終わるか」の分岐点は、役者の「境遇」にあると、私は確信する。「演技」ではなく、役者の「生活」から「じわじわと滲み出てくる」風情が「至芸」を生み出すのだ。
 夜の部「舞踊ショー」で観た、南條光貴の「加賀の女」(唄・北島三郎)は絶品、終始私の目からは涙があふれ出ていた。「君と出会った、香林坊の・・・、ああ金沢は、金沢は・・・」まさに、その通り、つい四日前、私は金沢を訪れていたのだったから。

 

 

 

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