残像。 | やさしい時間

やさしい時間

ときメモGSの妄想小説です。

ネタバレなSSもアリ。
一部限定公開もアリですのでご注意を……。

 あの日、あの少年の腕から逃げ出した小さな猫は、一体どこへ行ったのだろう?


 退屈な休日を一転させたのは、一本の電話だった。
「ジャパニーズキャットが逃げ出した」
 要件を簡潔に伝える直属の上司は、珍しく声にいら立ちを含ませていた。
「すぐにそちらへ向かいます」
 電話を切り、手近にあったジャケットを羽織り車のキーを掴む。ふと、脳裏に色素の薄い少年の顔が浮かんだ。そして唐突に思った。

 ああ、彼はあの日の子猫を追いかけていってしまったんだ…。



 初めてその少年と対面した時、人形のような印象を覚えた。何の感情も移さない瞳はガラス玉のようだった。彼は導かれるままに与えられた部屋に入り、やがてその優れた能力を余すことなく発揮する。
 時折見かける少年は、誰と交わる事もなくいつ見ても独りだった。何も映さないガラス玉の瞳で、独りどこか遠くを見ていた。

 彼がこの研究所にやってきたあの日から、私は彼を見守り続けていた。彼付きの世話役…と言えば聞こえはいいが、ようするに監視するために私は彼の傍に置かれた。この研究所に属する研究員には、それぞれ監視役が置かれている。機密を守るために。
 大人しく従順で、与えられた仕事を淡々とこなす。所内での少年に対する評価は高かった。よくもまあ、このような少年を東の島国で探し当てたものだと、研究員たちが囁いているのを耳にした事がある。
 10代前半にして、彼は一つの部屋を与えられるほどの地位にまで昇りつめた。

 ひたすらデスクに向かい、誰と会話を交わす事もなく、必要最低限の言葉しか発しない彼はまるで機械のようだった。感情を外に表す事もなく、何かに興味を示す事もない。放っておくと寝食も忘れて研究に没頭するその姿は、何かに追い詰められているようにも見えた。
 そんな少年が初めて見せた、人間らしい感情。
「猫を触りたいんだ。……いいでしょう?」
 痩せた仔猫を前に、少年はそう言って私を見上げた。その眼には、これまで見せた事のなかった感情の揺らぎがあった。初めて見せる、そのヒトらしい感情に私は正直少し驚いた。

 猫を抱きたい。それが、彼が初めて言った『我儘』だった。



 思い返してみると、あの日から何かが狂い始めていたのだろう。

 何事にも興味を示さず、ただひたすら研究に没頭するだけだった機械のようだった少年。その彼がそれまでとは打って変わって外への興味を示し始めた。余暇を見つけては高校卒業資格を取り、大学へ進学。彼の能力から言えば当然のことだが、スキップを繰り返してさっさと卒業。
 そして次に彼が始めたのは、テニスだった。元々その才があったのか、はたまたそれも彼の能力がはじき出す計算上のものなのか。最初はラケットに振り回されていた彼もそれなりに筋力がつくと、相手を簡単に振りまわすようになった。彼の放つボールは綺麗な弧を描きラインぎりぎりのところに落ちる。ラケットを握って1年も経っていないとは思えないほどに、見事にボールは相手の虚を突いた。

 そしてその頃から、彼に対する監視体制が強化された。それまでは一般研究員同様に随時動向を見守る程度だったものが、大きく行動を制限するものへと変わった。交替で行われる24時間の監視――これはまるで、国家の重要機密に関わる研究に携わる者に行われるそれだ。
「…そうだ。彼が現在行っている研究には、それだけの価値があると判断された」
 ある日、上司に疑問をぶつけるとあっさりとそれは肯定された。そして、彼自身はその事実を知らされていないということも。

 国家の重要な機密にかかわる事項…それは、つまり。
 彼はその事に気付いているのだろうか。

 いつか、彼が小さく呟いていたことがある。
『あの猫のように、自由になれたら…』
 その呟きはあまりに小さく、うっかりすると聞き落としてしまいそうなものだった。私が聞き返すと、彼は何でもないようにいつものような無表情に戻っていたが。
 あの時、彼が見せた一瞬の憂い。彼は、本当はここに留まることを望んでいないのではないだろうか。

 従順なふりをして、周りの信用を得て。わずかに与えられた自由の中で、彼は彼なりに己の爪を研いでいたのではないのだろうか。





 研究所の一角、あまり広くないその部屋に足を踏み入れた。雑然と積み重ねられた書類や資料、棚に並べられた薬品瓶の数々。彼に与えられた研究室は、昨日までと全く変わらないままだった。
 ただ、そこにその部屋の主がいないというだけで…。

 ゆっくりと、その部屋の中を見渡す。彼は一体、ここで何を思い何をしてきたのだろう?感情を押し殺した能面のような顔で、何も映さないガラス玉の瞳で、何を考え何を見ていたのだろう。
 私は、彼の何を見てきたのだろう…。

 いつか、彼が小さく呟いた言葉が脳裏に蘇る。
『かえりたい…』
 それに私は、一体どのように答えたのだろう。その記憶は、既に曖昧になってしまっているが。こうして彼がここから姿を消してしまった今、彼はあの時『帰りたい』と呟いたどこかへ帰ろうとしているのだろうか。

 コンコン、とドアを叩く音に私は我に返った。振り返ると、そこには白衣姿の女性が一人立っていた。
「こんにちは、スコット」
 彼女はニコリと笑うと白衣のポケットに手を突っ込んでゆっくりと部屋に入ってきた。そして私の隣に立ち、ぐるりと部屋の中を見回す。
「ふふ。あなたのお気に入りの仔猫、どこかに逃げ出してしまったようね?」
「……」
 彼女の言葉に、私はどう答えるべきか迷って目を伏せる。彼女は主を失ったデスクを軽く撫で、小さく笑った。
「あなたも、彼の行き先に検討はついてないの?」
「は…」
「彼が行っていた研究の内容は、ほとんど残されていなかったの。メインのデータは彼の頭の中に収まったまま」
 くすくすと笑いながら、彼女は私を探るように見つめた。
「どうするの?探しに行くの?」
「…そのようにご命令があれば、いつでも」
「そう。そう言うと思ったわ」
 私の言葉に、彼女は満足そうに笑うと白衣を翻してドアへ向かった。そして、出ていく間際にチラリと私を振り返る。
「彼、あなたには気を許しているようだったけれど…。本当に何も聞いてないの?」
「気を、許す…?ドクターが、私に、ですか?」
「あら、気付いてなかったの?彼、あなたにはずいぶん心を許しているように見えたわ。知ってる?彼はね、私が傍にいる時は一睡もした事がないのよ」
 そう言って彼女は肩をすくめて笑った。
「じゃあね、スコット。あなたの仔猫がどこかで無事にいる事を願っているわ」
 ぱたん、と扉は閉まり私はその部屋に一人残された。閉ざされた部屋には、沁みついた古い薬品の匂いが充満していた。


 ドクターにとって、私はどのような存在だったのだろう。私にとって、ドクターはどのような存在だったのだろう。
 問いただしたい相手の姿は既にそこにはなく。ただ、彼の使っていたデスクにその残像だけを残していた。

 そして数日後、彼女が予見していた通り、私にドクター若王子追走の命が下った。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「深淵」の続き的なもの。

どうしても書きたかった若×スコット。
ゲーム本編には後ろ姿のみ、ドラマCDには出演していた黒服スコットを捏造。

…ほんと、色々と反省はしてます。


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