■Just the beginning -20- ツアーの裏に隠されたあゆの想いと告白 | 全ての道は Ayuに通ず  ~All roads lead to Ayu~ 

Just the beginning -20-
ツアーの裏に隠されたあゆの想いと告白

 

当blogは例年ではツアーが終わってからレポ記事をじっくり書いて投稿するのだが、
今回は謎解きが重要なツアーであるため、ツアー途中ではあるが年末の公演を控えた今、
ギミックの正体や謎の解明、セトリの曲構成の意味等を中心に記事をまとめてみた。
(※ネタバレ中心の記事です)。
もちろん個人の憶測の域を出ない記事なので、全く見当違いの可能性もあるというのを前提で読んでいただきたい。
そして、これを読んだ上で改めて第3章の公演を見て、その通りだと思うか違うと思うかはあなた次第ですが、自分なりの解釈でツアー内容を楽しんでいただければ、と思います。

 

各章基本セットリスト

 

要点をピックアップ
まずはツアーの演出やセトリ等に散りばめられている特徴や要点を、順不同に箇条書きでピックアップしてみよう。

 

・第1章は葬列から始まる。
この葬列はサブステに向かってダンサーズが歩いて薔薇を一輪ずつ供えるのだが、供える所がサブステのAマークの中心の部分である。

・1曲目のourselvesはメンバーの構図やスクリーン映像含め、『最後の晩餐』を表している。


・第1章の1曲目がourselvesで始まり、第3章の最後でまたourselvesで終わる。
 1~3章のツアー全体、特に本編全体が『1つの最後の晩餐』を表しているとも考えられるが、『これで最後だと思ったはずのものがまた幕が上がりまた次が始まるということ、それをループのように繰り返している』とも考えられる。
・第3章のourselvesは第1章の時と違い、後奏(曲の後半)が長く、最後の部分に特徴があり、第1章の時と違いダンサーズが全員薔薇を持った状態で終わる。
この3章最後の『薔薇を持ったダンサーズ』は第1章のオープニングの葬列に登場するダンサーズそのものであり、1章の幕開け前の葬列に続くという意味を表している。
・時系列的に、スタート地点と終わり地点を考えるとすれば、1章のourselvesが始まる時に幕が上がる所がスタート地点で、1章の最初の葬列で全員が薔薇を供え終わった所が終わりの地点。
 敢えて1章の序盤に終わりの場面と始まりの場面を並べているのは、終わったはずのものがまたすぐに始まるということ。
・ourselvesの時のバックスクリーンには1章・3章共通で、暗闇の空間の中に壁や柱や階段がいくつも浮遊し、それが逆さまになったり止まったり動いたり回ったり、混沌とした空間が描かれている。


 これは『時空の歪んだ世界』の中に迷い込んでしまったことを表している。
 よく見てみると、最初の『最後の晩餐』の背景と思われる壁と柱の中央の外側にはこの暗闇の混沌とした光景が既に存在している。


・これで『終わり』にしようという最後の晩餐だったはずが、時空の歪みによってまた振り出しに戻って『始まり』になる。
 それを繰り返してループしているということ。
・1、2、3章に全て共通しているもので印象的なのが、ourselvesとPieces of SEVEN。
 2章はourselvesは歌わないがスクリーンにPVという形で登場。
 この2曲に共通して表現されている要素が、上記でも記した『時空の歪み』である。
 ourselvesは1章3章ともにスクリーン映像で時空の歪みが表現されており、2章のourselvesはalternaを歌ってる後ろでPVの映像を流しているわけだが、このourselvesのPVを改めて見てみてほしい。
 このPV自体もまた映像が止まったり動いたりスローになったり時間が逆戻りしたりするPVで、終わりの場面が最初の場面のような作りのPVなのだ。
 Pieces of SEVENはダンサーズとパフォーマーによるパフォーマンスであるが、まず最初に出てくるステッキが重力の歪みの影響で地面から離れなくなったり空間に固定されて動かなくなったりする。
 街中にダンサーズ&パフォーマーが次々と登場した後、何かにとりつかれたように時間がゆっくり流れたりあり得ない方向に体重が傾いたり、重力に反するようなバランスでのパフォーマンスが繰り広げられたりする。


 更にそのスクリーンに映っている街中の街頭やベンチなどが宙に浮いたりする場面もある。
 このパフォーマンスセクションもourselves同様、時空の歪みを表現したパフォーマンスと言える。
・第2章の最初の曲のalternaはouselvesと似たような世界観で、ourselvesのPVがバックに流れて、それに準ずるようにダンサーズがあゆと同じお面をつけている。


またあゆが前方に伸びた椅子の道を進むも、ダンサーズに捉えられて連れ戻されてしまい、しばらく倒れてから起き上がる演出などが印象的。
・第2章のみ、sacrificeというサブタイトルがついているが、sacrificeの意味は『犠牲』。
 また細く言うと『十字架上のキリストの犠牲』という意味もある。
・Kiss o' kill~Free&Easyの所で十字架が登場し、あゆがそれに磔状態になるような演出がある。
 『最後の晩餐』が出てきた以上、イエスキリストに関連づけられたストーリーが展開されているわけであるが、1章と2章の展開がまさにそれが表されている。
 イエスキリストは最後の晩餐の後日、十字架に磔になり処刑された。
 これをなぞるように第1章のオープニングで最後の晩餐が表現され、第2章では十字架に磔になって犠牲(sacrifice)になる場面が表現された。そして1章開始場面で葬られた。
・また、この2章の十字架セクションが終わる部分で、リキが階段の上の方で逆さの十字に吊るされたような形で終わる。
 逆さ十字は『聖ペトロ十字』と言われ、キリストに対する謙虚や無価値の意味があり、俗説では離脱などの意味もある。
 これは一座から抜けて行くメンバーたちを象徴しているのではないだろうか。
 現に逆さ十字になって吊るされていたのは、現在一座から抜けているリキが担当していたのもこの意味が込められていると考えられる。

 


主要要素や特徴が暗示しているものとは 
ここまではツアー内容として表現されていた各章主要要素である『最後の晩餐』『犠牲』『時空の歪み』『ループのように繰り返すこと』が分かってきたわけであるが、
ここまでの段階ではまだ『目に見える要素』が判明したに過ぎない。
ではもう一歩踏み出して考えると、これらが一体何を暗示しているのか。
ここからが当記事の本題であり、また推測による謎解きである。 
結論から言うと、『最後の晩餐』はあゆ本人がこれで最後にしようと思ったLIVEや活動。
『犠牲』は最後にしようと思ってやってきたのに最後にできずに苦しんでいたあゆ自身。
『時空の歪み』は、本来あるべき状態、思っていた状況とは違う方向に事が運んでしまい、時間が逆戻りするように再びスタート地点に立ってしまうということ。
『ループのように繰り返すこと』は、これで最後にしようと思ったLIVEにも関わらず結果的にそれを終えたらまた次を始めていたこと、それを毎年繰り返していたこと。
最後にしようと思っていたLIVEというのは、具体的に ”何年の、どのツアー” というよりは、今までの活動において幾度となく頭をよぎってきたこと。
「これで最後にしよう、今年で一旦終わりにしよう」、きっとあゆの活動において何度もそう思ってきたのではないかということだ。
過去の様々なツアーやLIVEやリリース活動などが、その時その時における『最後の晩餐』だったということ。
初期から例年に渡り、アルバムリリース~ツアーというのを一つのサイクルと考えると、その一つ一つのサイクルこそが、その当時における最後の晩餐だったかもしれない。
そしてその一つのサイクルの区切りを最後の晩餐として、それが終わったら『浜崎あゆみ』を葬ること、つまり世間から姿を消すことを何度も考えていたのではないか。
しかし、最後の活動を終えて幕を閉じて世間から浜崎あゆみを葬るはずが、また振り出しに戻って次の活動の幕が開いてしまうというのを、過去に何度も繰り返していたということ。
これが3章構成に渡って表現されてきたあゆの想いではないだろうか。
これは過去を振り返ってという視点での解釈になるが、現在と未来における解釈だとしても似たようなことが言える。
20周年というアニバーサリーを迎え、それで最後にしようと決めていたものの、また幕を開けてスタートを切るということを暗示しているのかもしれない。

 


浜崎あゆみとしての苦悩
なぜ何度もこれで最後にしようと思ってきた、または20周年で最後にしようと思っていた、という結論が導き出されたのか、それは各章に散りばめられた選曲が鍵を握っている。
それは、浜崎あゆみとしての存在や活動においての苦悩が多かったということ。
例えば第1章では主にWARNINGやWalk、第2章ではMicrophone、第3章ではLast minute、FLOWERなどがその鍵を握る苦悩を表した選曲だ。
また、alternaのバックで意味深に流れていたourselvesのPVに関してだが、このPVが出た当初によく言われていたのが、『アンチに追い詰められていく浜崎あゆみ』が表現されてるPV、だということ。
ourselvesのPVやalternaでの演出であゆのお面をかぶった人々は、『自分に興味があって注目しているにも関わらずファンなのかアンチなのか得体のしれない存在』だということ。
PVではあゆを追いつめていく様が描かれているが、alternaのステージでは、そこから逃れようとするがその得体のしれない存在によって引き戻されてしまい逃れられないということが表現されている。
1章と2章の共通選曲であるMirrorcle Worldもまたその苦悩を内包した楽曲と解釈できる。
ちなみにこの曲がリリースされたのは、10周年記念シングルとしてだった。
が、おめでたいリリース楽曲であるにも関わらず、明るいお祝いムードの曲ではなく、歌詞の内容は、始まり・終焉・白旗・犠牲者などの意味深なワードが並び、ダークで強めの楽曲であった。

10周年の時にも、今回と同じような想いが込めて作られた楽曲だったのかもしれない。
alternaでお面のダンサーズがあゆを連れ戻す場面と、「ただ前に進めとあなたが言うじゃない」の部分とがリンクするような印象もある。
他にもそれに該当するような歌詞の選曲が散りばめられているはずなので、それぞれ解釈を広げていくのも面白いと思います。

 


譲れない想い
ここまでの解釈では、苦しみや悲しみ、迷いや犠牲、終わりたいのに終われない現実などの、
ネガティブな側面ばかりの解釈を解説してきた。
目に見える要素やギミック的には、ネガティブな側面の要素が多い。
が、ここまではストーリーの前提であり、全体で言いたいことの半分ぐらいの要素だ。
残りの半分は、浜崎あゆみの中のネガティブな自分に対しての、もう一人の浜崎あゆみが持っている強い想いだ。
ではこれほどまでにネガティブ要素が表現され、幾度となく終わりにしたかったあゆが、なぜ終わりにできずに再び幕を開けて次のスタートを繰り返していくことになったのか。
それは誰かの外的な要素の強制等によるものではなく、 ”もう一人の浜崎あゆみがそれを終わらせなかった” ということだ。
演出によるギミックや選曲によってのダークな世界やネガティブ面がツアーの世界観を覆い尽くしている半面、
もう一人の『それを終わらせなかった浜崎あゆみ』による選曲が実は多い。
それらの選曲でもう一人の浜崎あゆみが『終わらせなかった理由』として各章で繰り返し歌っていることが、これまでの活動を通して感じてきた『愛』だ。
苦しくて悲しくて空しくて、逃げたい、終わりにしたいという想いが強かった一方、
自分を応援してくれたり幸せを願ってくれたり共に歩んでくれたり、そんな自分を愛してくれている人々への想いの方が勝っていた、ということだ。
例えば第1章ではNEVER EVER、Fly high、Voyageなど、第2章では2曲のバラードや1 LOVEなど、第3章ではI am...、progressなどが、もう一人の浜崎あゆみが伝えたい想いによる選曲だ。progressの同じ未来信じてる「ふたり」を「僕ら」に変えて歌っているのもまた印象的だ。
これもまたそれぞれの解釈で他にも該当する楽曲を探してみるのはいかがだろうか。
更に言うと、Who...、MY ALL、TODAY等のアンコールの最後に歌う楽曲もそれに該当するわけだが、
ツアーの『核』となる楽曲であるourselves、新曲かつ最も今の気持ちが綴られているであろうWORDS、そして第1章の一番最後と第3章の最後に歌うLove songの3曲、特にこの3曲は歌詞全体がこのツアー内容に隠された想いそのものではないだろうか。
そう考えると、20周年を目前にした今に始まったことではなく、ourselvesをリリースしたあの当時からもこの想いはずっと続いていたのかもしれない。
そして長年繰り返されている想いと共に、結婚があったり、メンバーが変わったりしていることがあったのをVirgin roadや逆さ十字で振り返ったり、
また第1章の葬列のバックで流れるドームツアーのオープニング曲や、第3章ではMADE IN JAPAN風のセクション、ぱわみゅ風のセクション、プレショー風のセクションなど過去のツアーを彷彿とさせるセクションも作ったりして振り返っているのではないだろうか。
各章のセトリの選曲は、この『終わりにしたかった自分』を表す楽曲と、『終わらせなかった自分』による楽曲を中心に構成されており、alternaやMirrocle worldのように、その両方の自分が存在しているような選曲もある。

 


ツアーに込められた想いとは
12/6にインスタに投稿された、ourselvesの歌詞の一部である「世界中の誰も知らなくていいから、たったひとり、あなただけには知っていて欲しい」。
という部分であるが、この部分こそが最も伝えたかった部分ではないか。
苦悩によって何度も終わりにしようとしていた事実は立場上表立っては言えないことではあるが、ツアーの芸術表現として、本当の自分が感じていた秘密は歌の中で伝えたいから、その表現を読み解いて私の言えなかった心を知っていて欲しい、ということ。
来年で20周年を迎え、おめでたいことは間違いないものの、そのおめでたい日を迎えるために浜崎あゆみとして犠牲になったものや、抱えていた苦しみや悩みを繰り返してきたことを打ち明けておきたかったのだと思う。
そして12/10にインスタに投稿されたLove songの歌詞の一部を含んだ投稿で、例え犠牲になって苦しみがあったとしても、それ以上に譲れない想いがあるということも同時に伝えたかったのであろう。


インスタ&Twitterに投稿される内容が、ツアーの補足的であったり、その鍵を握る内容の投稿であったり、ツアーの進行とリンクしている点も見逃せない。

 

ここまでを全て踏まえた上で、各章のオープニングで流れるあゆのナレーションを改めて読んでみると、「残酷でリアルな夢」という引っかかるワードの謎が解けると共に実に感慨深い内容であることが分かる。

 

昔々あるところに ひとりの女の子が煌びやかでおとぎ話のような場所を創り上げました
彼女の夢はその場所を訪れた人が永遠に忘れることの出来ない一瞬を与えること
年齢も性別も肩書きも関係のない一瞬
それは君でありあの子であり私である
さぁ今夜もまた、残酷でリアルな夢を始めましょう
その場所の名は-

 

20周年の前夜とも言えるような『Just the beginning -20-』という名の今回のツアー。
それはまるでおめでたい日を迎える前の日の夜に、
「あのね、今だから言いたいんだけどさ、実は今まで私こんな気持ちだったんだ。
でも前を向いて明日を迎える準備はできているよ」。
と打ち明けているかのような、秘密の告白のような内容だ。

 


総括
例年ならばツアーというのはまずアルバムリリースがあってのものであった。
しかし今回はツアー開始時にアルバムリリースがないどころか、途中たった1曲の新曲で2章以降を開催するという、
例年の傾向から考えたら、これで内容の違うことを3章もできるのだろうか?
と思ったものの、今思えば逆に新曲が1曲しかないのにここまでの壮大な構成を表現しているのが素晴らしい。
そして3章構成に分かれていることで、3章の後半でハッとする展開になるという意味もあった。
ツアーが始まって間もない頃は、例年よりコンセプトのハッキリしないツアーでいまいち掴みどころがないようなツアーだと感じていた。
が、謎が解明されていった時にはむしろガッチリとしたコンセプトがあったことに驚かされる。
また、敢えて表立ってコンセプトを出さずに、 
”内容をよく見て裏に込められた意味を解明した者のみがそのコンセプトを知ることができる”、という性質が、
「世界中の誰も知らなくていいたったひとりあなただけは知っていて」「世界中の誰も知らないけれどたったひとりあなただけに見せている」という、ツアーの核となる楽曲の歌詞とリンクしているというのも大きなギミックの一つではないだろうか。
おめでたいアニバーサリーを迎えるにあたってのツアーだが、苦悩や秘密の告白という重い内容で構成してくるあたりが、いかにも浜崎あゆみらしいですよね。

さてここからは大晦日公演や年を越えての残りの公演、一夜限りの2.5章などが控えており、
内容の変更や新曲披露などの可能性もあり、まだ解明されていないギミックなどが判明するかもしれない。
20周年を楽しみにしつつ、これらのギミックの謎解きもしながら残りの公演もじっくり見てみてはいかがだろうか。
この記事がそれの手助けになり、今後の残りの公演がより一層味わい深いものになってくれれば幸いである。