2026年7月8日、旦那の実父が亡くなった。
病気だったらしいのだが、病院を信用せず、じわじわと調子が悪かったらしい。
それも言ってこず、やっと本人から報告があったのが去年の11月ごろ。
驚かせたくないんだけど、体調がすぐれない日が多くなってきたからそろそろ言っておこうかなと思うけど
別に普通に生活できてるからあんまり心配しないでくれ、という内容のテキストメールが。
カリフォルニアで夫婦で不動産業を営み、邪魔されることが嫌いで家に呼ばれることもなく子供が生まれる前に2、3回あった程度。
リタイヤはアーカンソー州の素敵な家にお引越し、それでも幼少期に捨てられた旦那は交流を持たず、娘が生まれてだいぶ経ったころ娘に「グランパはどこにいるの?」と聞かれて初めて意識した。軽く父親とは交流がないことを話せる年齢になってから娘に説明すると、娘が「それじゃパパはグランパに謝らなきゃ。」といった。
それで実父に会う気はいっさいなかった旦那は、娘のためだけに、娘にグランパと会ったことがある、という思いでを作りたいためだけに交流しアーカンソーの家にみんなで訪ねて行った。その頃はまだ元気だった。コロナ開けたぐらいかな。
旦那の他のきょうだい(次兄と妹)だけは、実の父親に愛されたくてずっと連絡をとっては冷たくされ傷ついてきた。
旦那は、自分は8歳の時に親が離婚して捨てられた、大きく傷つけられて人生が変わった、それからそれはもう過去として終わった。再び交流を持つ理由もなにもない、もう終わったことだ、と処理してきた。一貫して考えを曲げない旦那も世界で娘だけには弱い。去年は旦那と娘だけでも訪ねて行った。
そして今年、もうそろそろらしいと知らせをうけ、家族みんなでアーカンソーに行ったのが5月のメモリアルウィークエンド。
その3週間ぐらいまえからもう持たないかも、と言われていたんで、すでに行くチケットを取っていた私たちはなんとか間に合ってくれるよう祈るような気持ちで過ごした。そして間に合った。
メモリアルウィークエンドに訪ねていくと、元気ではないけど、苦しい息でよくしゃべってくれた。
1日だけ会う約束だったのが、もう1日呼ばれたので近くに住む義理の妹と子供たち(子供たちのいとこ)もみんなで集まれた。
ラスベガスから次兄とガールフレンドも加わり、奇跡的なリユニオンとなった。
私と旦那は全員の集合写真を撮り、すぐにウォルグリーンにデータを送り、ポスターサイズのフォトを注文し、私が車で取りに走り、みんなの前でプレゼントすることができた。まだ義理父はぎりぎりの体調でおしゃべりに付き合えたが、数時間経つと気分が悪くなり吐き出したので解散した。肺もゼーゼーと息苦しいそうで、毎日吐き気が来るのでもう何週間も食べておらず、嫁が飲ませる水やオイルで生きながらえているらしい。
嫁も医者を信じておらず、ホスピスにも連れて行っていなかったので、私と旦那はせめて呼吸器や訪問介護で楽にしてもらえるようにと、近所にあるホスピスをいくつか探し、嫁に明日電話するようにと渡した。貯金はいくらでもあるはずだ。
翌日、すぐに車で30分ほどのホスピスのケアワーカーがやってきて、とりあえず連れて行って入院となったらしい。
私の旦那や近所にすむ義理の妹は、何度も面会に行ったようだが、私と子供たちはロサンゼルスに戻ったのが5月の終わり。
それからも義理父は頑張ったらしい。
知らせを今かと待っていたのだが、何しろ相手は嫁だけ。嫁は自分の家族には連絡するが、義理父側の家族には細かい詳細は知らせず私たちはもやもやしていたのだが、ついに亡くなったという知らせを受けた。
プライバシーを重視するやつらだったので、かわいそうな義理の妹はなくなっても家にあげては貰えず、葬式はもちろん行わず、荼毘に付すだけという知らせを受けた。せめて焼く前に顔を見せてくれと頼んでも、断られたらしく、妹や旦那も、義理父の嫁への怒りや恨みで今でもずいぶん苦しんでいるらしい。
もともと、その女の元に走るために離婚して4人の子供たちは、ある日いきなり捨てられた恨みがある父だった。
離婚どころか、母と4人の子供たちは身ぐるみをはがされ追い出されたのでゲトーで貧乏な暮らしを強いられ、母が経済的にかメンタル的にか知らないが頼って連れてきた男に殴られているのを見ながら育つことになり、その後お母さんは40代半ばの若さでガンで最後は旦那の腕の中で壮絶に亡くなった。旦那が自分の人生までは受け入れるが、実父のしたことまで受け入れることは必要はないだろう。だけど娘のためにもった関係だった。
私も数度の訪問で、最後の訪問は、なんかきょうだい同士のリユニオンで盛り上がっている間、義父の話し相手になったのだが
義父は大変インテリで話が面白い人であった。家族の最後の集まりなのにきょうだいどうしでごちゃごちゃしゃべってないでお父さんとしゃべったれよ!と思ったのだが、間が空いた中、息苦しいのに、お義父さんは自分は若いとき海軍にいた、日本では佐世保にいき、その後グアムでサーフィンをしていた、自分はまだ21歳か22歳だった、という話をしてくれた。
佐世保?!ちょっとまって、私たち、去年佐世保に行ったんだよ!誰も佐世保なんか行かないのに、あなたの息子がどうしても佐世保バーガーが食べたい、って言ってじゃ佐世保の果てまで行ってみようよってことになって、佐世保にいったんだよ、ほら、写真、と佐世保に行った時の写真までみせた。
佐世保の駅前にこんなわかりやすい場所があってさ、ここで撮った写真を見せた。
この時はこんな果てまでノリで来ちゃったよと思っていたけど、お義父さんに呼ばれて私たち家族はここに足を運んだのかもしれない、と思った。日本の佐世保バーガーは小さくてさ、バーガー屋さん出た後、みんなで吉牛に入ったわw
そんなわけで、話戻るけど、旦那の妹は、車で30分の距離に住んでいて、父親に尽くしたくて暑いなか、父の家の芝刈りなどを頼まれたら断らず(アメリカの田舎の人は2週間に1度芝刈りをする)、汗だくになっても中に入れてもらえず、お父さんを訪問したくても嫁にお伺いをたて許可をもらわないと合わせてもらえず、芝刈りで暑くて倒れそうになって「水をちょうだい・・」と嫁に訴えたらちょうど訪ねていたその嫁の実の息子(カリフォルニア在住)と二人で出てきて「あら、私たち今ランチを終えたところよ」と言われ、ランチをオファーされるでもなく水だけとか、そいゆう扱いを受けてきた。
私たち家族が訪ねて行ったときベッドルームに入れてもらったことを知り、自分とその娘ちゃん(16歳)はベッドルームに入れてもらえず、リビングに出てこられる日にしか合わせてもらえなかったことで、旦那と険悪になったこともある。
だけど、最後まで「パパ、来たよ~。愛してる」と父親を慕っていた。
義理の妹は、親が離婚し急にゲトーな環境になったことで幼少期にレイプも受けていて人生はめちゃくちゃなのだ。(アメリカあるある)
だけど、最後の最後まで、実父の愛に飢えていた。うちの旦那に言わせたらデスパレートだ。俺はもう終わったことだ。父に何も求めていない、と考えを変えることはなかった。
義理の妹とはテキストメッセージでやり取りをしているが、彼女はそういうrageを抱えている人だから、嫌いじゃないし好きだけど心底信用はできない。だけど今は苦しんでいる。父の嫁を呪って、家に火をつけて、56してやりたいぐらいの怒りを。
嫁は旦那や義理の妹には、若かりし頃ひどいこと言ったことはごめんなさい。私も若かったの、と謝ったそうなのだが、まあ私には理解しきれないほどのわだかまりはあるわけで。
どうにか乗り越えてほしい。彼女がそういう扱いを受けるべきではないのは私もよく知っている。
というわけで、最後は天国泥棒をした旦那の実父なのでした。
またみんなで集まろう!って約束したので、また天国で、佐世保の話をしましょう。
まだ、旦那の元嫁のお父さん、私にとっての義理父が残っているわ。。。

