上杉禅秀の乱以降関東が慌ただしくなり

関東が戦国時代に入るのは永享の乱から享徳の乱、長享の乱と言われています。

乱が進むにつれて鎌倉公方家の存在がうすーくなっていきます。

けど一応鎌倉公方家は江戸時代まで続きます。

喜連川藩5000石

参勤交代免除

明治を迎えます。


永享の乱は1つ前の記事の足利持氏が幕府の恩を忘れて反旗を翻して、室町幕府と関東管領対足利持氏の戦い。

この人、京都の4代将軍義持が死んだとき

くじ引きで京都の六代将軍義教が選ばれたので

それに怒ったんですね。

私の方が血統本家に近いじゃないかと。


ちなみになぜ5代が死んだ後で揉めたのではないかというと、5代目は短命で死んだあとで再び4代目が政治をしていて、後継を指名せず死んだからです。



享徳の乱は持氏の子供成氏が鎌倉公方になり

室町幕府&関東管領上杉憲実との戦い

28年間続きます(笑)

応仁の乱が11年なので日本一長い戦いです。

トリビアです(笑)


長享の乱は18年間続いて

山内上杉氏と扇谷上杉氏の戦いで

この頃鎌倉公方はもう関東の主役ではありません。


そして上杉氏も北条氏に関東を奪われます。


戦国時代は下剋上だけど

鎌倉公方家も山内上杉家も

無事に江戸時代を迎えて明治時代をも迎えます。

結局家格が高いと滅亡せずに済みますね。


家格秩序は間違いなく崩壊してますが

頂点付近は残ります。

天皇家もそう、公家もそう。

将軍家もそう管領家もそう。


下剋上とは何か?

伝統の否定なんだと思うんですけど

否定しきれてはいない。


結局正当性が担保されている家格が高い方が

喧嘩を売られても買わなければ

権力は失うが、家は続くと。


滅びたのは平家と豊臣家くらいでしょうか?